iPhoneのメモを整理していたら色々と書き溜めていたことが出てきた。殆どはアーカイブしたけれど、いくつか気になるメモが残されていた。昨日のブログの内容も実はiPhoneに残されていたメモで、そこから新しい発想も浮かんだのでメモを整理してよかったと思う。
なんとなく書き留めていた、いつぞやの打ち合わせでお客さんが言っていた言葉:
「耐えるべき前提ではなく、解決すべき問題」
例えば、「写真を撮って拡散してる間に飯が冷める、本来の飯を楽しめない」っていうのは、一見その通りで、写真を撮って拡散したいのなら飯が冷めるのは「耐えるべき前提」だと思ってしまう。けれど、実はこれは思考停止しているのと同じだと思う。本来の飯の姿を拡散するのに「スマホを出して」という行動を必要としない技術的なブレイクスルーによる「問題の解決」がまだないだけなのではないか。ようするに、技術が「人が本質的にやりたいこと」に追いついていないだけなのではないか。
ただ、こういうことを考えると、いつも思うことがある。こういったまだ見ぬ全ての技術の答え、というか、「新技術の要素」は世界に初めから存在していた。伊坂幸太郎の作品に良く出てくる「神様のレシピ」という言葉を思い出すけど、なぜ時と共に技術力が進歩していき、新しいものが生み出されていくのだろう?イノベーションと呼ばれるモノの要素自体は、大昔から存在することに疑問を感じる。