PROFILE

略歴

初めまして、このブログを管理しているYusakuです。178cm、痩せ型のA型です。クライミングと登山、ゴジラと仮面ライダーをこよなく愛するギリ昭和生まれの男子です。イギリスで生まれ、小学校高学年から高校卒業までをオーストラリアで過ごし、一旦日本に帰国した後カナダでカレッジに行ったりと、人生の15年間を海外で過ごしてきました。2016年夏に3年間勤めた会社を辞め、都道府県ごとの最高峰を登る旅に出ました。その旅の記録を自分で作ったウェブサイトで公開したいと思ったのが、このブログを開設したきっかけです。紆余曲折あり、現在は千葉県某所に住んでいます。

自己紹介

1987年9月29日

両親がこの時期住んでいたイギリスのロンドンで生まれる。父親の職業は外交官とかそんなかっこいいものではなく、日本食の料理人。

1990年代

3歳でイギリスから日本に帰国。母親の実家のある愛知県で10歳まで過ごしました。4年生(10歳)までを愛知県で過ごし、両親が出逢ったというオーストラリアのシドニーに移住。当時は猛反発した気がしますが結果的には行ってよかったと今では感謝しています。この写真は日光東照宮にて撮影。

2006年~2008年

2006年でシドニーの高校を卒業し、日本へ。2008年までの2年間、東京にある特殊メイクの専門学校に通って・・・いたと言えるほどちゃんと通ってはおらず、ダイニングバーでのアルバイトが楽しすぎてそっちにどっぷりと浸かっていたのでした。熱い日々を過ごしていたと、今でも当時のことを懐かしく思い出します。

2008年~2013年

専門学校を何とかかんとか卒業したもののその職には就かずにワーキングホリデーでカナダに行くことを選択。各地を転々としていた自分には「地元」というものがなく、日本で出来た仲間の地元感に溶け込めきれなかったことから「全員”日本”が地元」の海外に出よう!と思ったのがきっかけですが、これは後に自分の考えすぎだったと気付きます。

渡加後一年目はSECOND CUPというカナダ版のスターバックスのような店でアルバイトし、その傍ら知り合った人が経営していた留学エージェントでインターンなどしていました。ワーキングホリデービザが切れる直前にカナダで進学することを決め、学生ビザに切り替えて現地のカレッジに進学しました。このタイミングで留学エージェント勤務もインターンから正社員に切り替わり、日本支店を立ち上げたりなどしながらカレッジ卒業の2013年までをカナダ(一部日本)で過ごします。

2013年~2016年前期

カナダのカレッジを卒業したあとはカナダで就職活動を行わず日本に完全帰国することにしました。「帰国子女は日本の企業でまともに勤められない」というような偏見を受けることが多く、「そんなことはない」と自分自身で証明しようと思ったのが帰国した理由の一つです。卒業直後でしたが留学エージェントでの勤務経験もあったので新卒と中途の両方で就職活動をしてみたところ中途でも書類が通ることに気付き、途中から新卒の就職活動はやめて中途一本に絞りました。結果、カナダから日本に帰国してわずか17日で無事就職先が見つかり、2013年6月から金属建材の海外営業という職に就きました。

この職場では実に多くのことを学ばせていただき、さらにクライミング仲間というかけがえのない仲間達と出逢えたのもこの職場があったからこそでとても感謝しています。度重なる海外出張や日々のビジネス英語によるメール・電話の対応により海外に住んでいた頃よりも英語力がぐんと伸びたと実感しています。上の写真はドイツから来たお客さんを富士山にお連れした際に撮った御来光写真です。登る最中は曇り、下山時は雨だったにもかかわらず御来光の瞬間のみ絶好の快晴。甚く感動され、PCの壁紙にしてくださっていました。良い思い出です。

極力道具を使わず自分の力のみで岩壁を登り切るというフリークライミングの精神が自分の生活にも影響を及ぼしはじめ、徐々に自分の生活がシンプルなものになっていきました。断捨離を加速させた結果、仕事までも自分の人生から切り離すこととなります。この時期知人と飲んでいた際に浮かんだ「都道府県ごとの一番高い山を登る」という山旅に魅了され、2016年7月を目標にこの旅に向けて準備を進めました。

2016年後期

3年勤めた会社を退職し、日本全国を巡る旅へ出たのが2016年7月。47都道府県の最高峰を登りきったのは同年11月末でした。旅をしている間は本当に楽しい毎日で、本当にこの旅に出て良かったと思っています。今まで何度もウェブの勉強をしようとしては断念していた自分がようやく自作ブログを開設しようと思い立ち諦めずに公開までこぎつけたのも「この旅の記録を自作のブログで公開したい」という原動力があってこそでした。旅の記録は以下ブログに詳しくつけています。

旅の始まり
https://yusakudays.com/journey-begins/

2017年前期

旅が終わり、次に何をするかと逡巡して決めたのが「長野に住む」ということ。2016年の旅の最中一番思い出深かったのが北アルプスの縦走で、高峰に囲まれた長野に一度は住んでみたいと思い引っ越してくることに決めました。長野市にあるゲストハウスで働きながら生活していましたが、勤めているゲストハウスが法令を遵守していないことに気づき辞めるに至ります。経緯はブログにまとめてあります。

長野を出て、改めて長期的な旅を行うにも目標を見失っており、クライミング仲間のいる関東に戻り仕事をしようと就職活動を開始しました。そして様々な話し合いがあり2013年よりも前に勤めていた留学エージェントに戻ることになります。「金属建材メーカーで海外営業として働いた経験」をベースとして、これから留学する人たちに過去にはできなかったような提案ができるのではないか。適切な提案を行い海外に送り出すことで将来的に日本のためになる人材の育成の一端を担うことができるのではないか。そんな想いであの業界に戻りました。

2017年後期~2019年

2016年の旅が強烈過ぎたからか「戻る場所がないからこその旅」という考えがあり、なかなか家を拠点として旅に出る気が起きなかった2017年。今思えばこれはたわいのないことで、仕事よりも何よりも「もっと山に登っておけばよかった」と、2017年についてはそのことばかり思い出します。そして2018年に入り、これまでずっと山は単独行だった俺にI氏という仲間が加わりました。きっかけの山は富士山。いろんな人の、いろんなきっかけになる富士山は偉大です。そこから何度も共に山に登り、年末年始も山の中で過ごし・・・そして2019年に入り新たな仲間であるちゃんMが加わるなど徐々に山仲間が増えていきました。

そんな中、再び仕事に転機が訪れます。2017年に戻った留学エージェントは様々な問題を内包しており、辞めると伝えては説得され残る、というのを繰り返していました。先延ばしにしたところで内包している問題に解決の兆しはなく、紆余曲折を経て2019年10月にようやく辞められることとなります。思い返してみれば、どの仕事でも得られた一番のものは「仲間」。金属建材メーカーではO部長やOさんにTさん。この留学エージェントではI氏やちゃんM、そして後日山仲間に加わる先生という得難い仲間たちに出逢えました。

2020年~

留学エージェントを辞めてから数ヶ月間は働かずに自由気ままに生きようと決めていました。この期間の旅で特に印象に残っているのはタイへのクライミング旅行。クライミングの海外遠征はこのときが初めてで、しかも一人旅。非常に充実した最高の毎日でした。そして3月に入り、2016年に旅をするために辞めた金属建材メーカーに再入社します。何度も声をかけていただき、そして戻ることを快諾していただいた会社の方々には本当に感謝しています。

仕事復帰を果たし、山にも通い続けています。2020年はOGTという新たな仲間が加わり、そして以前から知っていた通称”先生”も本格的に登山活動に加わります。これから先さらにどんな仲間が増えていくのか。

イギリスに生まれ、小学校までを日本、高校までをオーストラリアで過ごす。その後カナダに渡り、カレッジ卒業後に日本に帰国し就職。職場でクライミングと山に出逢い、日本中の山々を巡り、山仲間に出逢い今に至る。プロフィールの最後は愛読している『山と食欲と私』の中でももっとも印象に残っているシーンの台詞で締めくくろうかと思います。

私は今、日本の美しい山々を知っている
必死に登ったあの日があったから───

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