記憶とは曖昧なもの。そして役行者との不思議な縁。

10/7の午後より名古屋の祖父宅に一時的に滞在しています。小休止を満喫していますが、昨晩確認した俺宛の郵便物の中に、旅の「足」兼「家」として活躍中のタントのリコールの無料修理のハガキが!!家に長期間いないとこういうのに気づかないから怖い。リアハッチのステーが対象ということですが、今回の旅で何回リアハッチの下で雨露をしのいで食事を摂ったか・・・。今日さっそく無料で交換してもらいました。

祖父に一月振りくらいで再会しこの旅で日光東照宮に行った話をすると、小さい頃に行ったことがあると言います。アルバムを引っ張り出して見てみると、確かに行っている!!1994/11/13、22年前です(現像された写真の写真を撮りました)。

しかも今回見られなかった陽明門の前で撮っている。今回行った際もちょうど同じような位置から写真を撮っていますが(下の写真)、比較すると撮影スポットの台も含め全然風景が変わっていないことに驚きます。

日光東照宮に行ったのは本当に全く覚えていないんですが、このとき行った旅館の記憶はおぼろげにあり、アルバムを見るとそこは湯西川温泉。山と高原地図に載っていた記憶があったので引っ張り出して見てみました:

遠い!!!

目測ですが日光東照宮から鬼怒川温泉までの距離の倍以上はある気がする。丸で囲ったところが湯西川温泉、四角で囲ったところが日光で登った山・日光白根山。今回の旅では日光白根山のあと湯西川温泉とは反対方向の尾瀬に向かったので、湯西川温泉に行くことはまったく検討しませんでした。アルバムを見るとこのとき宿泊したのは伴久という旅館だったらしく、吊り橋を渡って露天風呂にアクセスした記憶や囲炉裏で焼いた魚を食べた記憶があり、ネットで調べてみると旅館の評価がやたら高い。

湯西川温泉 本家伴久
http://www.bankyu.co.jp/

良い温泉宿なようです。祖父が見つけてきたらしいのですが、名古屋からずいぶんと渋い場所まで行ったもんです。もう一回連れて行って下さい!!

祖父宅に来たついでに、青森県立美術館で見た成田亨作品の載っている図録も引っ張り出してみました。

青森で見た作品はやはり載っていましたが、それ以上に驚いたのはこの絵↓

役行者
役行者(えんのぎょうじゃ)とは、7世紀末の大和国葛城山(かつらぎさん)の呪術者、役小角(えんのおづぬ)のこと。(中略)本作は、役行者が伊豆の島から富士山まで飛んで行って修行したという伝承に基づいて描かれた作品。鎌倉時代に修験道の祖と位置付けられて厚く信仰された。江戸時代の俳人.・松尾芭蕉(1644-1694)は『おくのほそ道』の旅の中、那須の羽黒の修験光明寺で役行者の像を拝し、「夏山に足駄(あしだ)を拝む首途哉(かどでかな)」の句を残している。

富士山!役行者!!松尾芭蕉!!!デザイナーであり彫刻家(それも怪獣の)でもあった成田亨氏の本に、富士山や役行者や松尾芭蕉が載っているというのはいったいどういう縁なのだろうか。しかもここに書かれている「修験光明寺」跡に俺は最近行っており、ブログにもこの句を含めてチラッと書いていました。写真を見返してみると、このとき修験光明寺跡で見た案内板にも役行者のことが書かれておりました・・・興味を持つタイミングが少し遅かった!

これは光明寺の行者堂に安置されていた役の行者小角の像を拝し、芭蕉がこれからの長旅の安全を祈り、その健脚にあやかろうとして詠んだものであろう。

今更ながら、那須岳を登る前に立ち寄った羽黒で見た案内板の写真。書いてありましたね、このときは普通にスルーしてしまった・・・。色々なものに興味を持って接してみると、既に興味を持っているものをさらに知ることが出来、また、「今興味があるモノ」と「これから興味を持つモノ」は実は知らないところで繋がっているという事を、最近よく目の当たりにする気がします。

今のところの予定では、そんな”修験道の祖”役行者によって開かれた1,300年の伝統を持つ山岳信仰の聖なる道、「国内最古の縦走路」とも言われる大峯奥駈道に、来週月曜日から挑戦する予定です。泊まりがけの長期縦走は夏以来。今からワクワクします。

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