奈良放浪記其の一: 日本最古の縦走路・大峯奥駈道を行くDAY1

10/10~10/15。この6日間は、奈良県から和歌山県にかけてまたがる大峰山脈を踏破する大峯奥駈道縦走に挑戦していました。この大峯奥駈道、歴史を紐解くと今から1,300年前に役行者が開いた「日本最古の縦走路」と言われている道で、今では世界遺産にも登録されています。そもそもの目的としては、大峰山脈にある奈良県の最高峰・八経ヶ岳に登ることですが、この機会に大峯奥駈道に挑戦しない手はない!ということで、単独での踏破に挑むことにしました。今回は吉野から熊野本宮大社へ向かう逆峰(ぎゃくふ)での挑戦です。10/4に埼玉県の最高峰・三宝山に登った時点で次の目標は大峯奥駈道になっていましたが、1週間くらい晴れそうなのが10/10からだったのでこの日に合わせて名古屋に戻ってきたのでした。10/10、月曜日。初日のこの日は始発で最寄りの駅から電車で出発し、9:22に吉野駅に到着しました。


まだほんわかとした雰囲気、吉野駅。

大峯奥駈道が何kmあり、アップダウンが何m程度になるのか調べるため、今回もいつものようにログをつけましたが、吉野駅からつけるかどうかこの時点ですごく悩みました。というのも、吉野駅からロープウェイで下千本に上がり、下千本から上千本を経て奥千本までバスで行くことができるため、登山道然としたところが全くありません。厳密には大峯奥駈道は蔵王堂のある金峯山寺からスタートしていると思いますが、今回は自分の中で「大峯奥駈道縦走」がスタートする金峯神社からログをつけることにしました。

ログはつけておらず普通の舗装された道路とはいえ、標高200mの吉野駅から標高750mの金峯神社まで歩くのは結構しんどかったです。金峯神社に至る道中、まずは蔵王堂に寄り道しました。大峯奥駈道としての開始地点はここかと思います。


蔵王堂、迫力のある巨大な建造物でした。


頂いた御朱印。

蔵王堂の次に、吉水神社に寄ったのですがここが実に良かった!早いところ山行を開始したい気持ちはあったものの、日本住宅建築史上最古の書院であり、さらに義経潜居の間であるとか後醍醐天皇の玉座があるという事で、興味を抑えることができずザックを置いて拝観することにしました。


入り口。


ここでも御朱印を頂きました。

個人的に特に良かった、というより切な過ぎて心にくるものがあったのは、義経・静御前潜居の間。義経と静御前が最後に過ごした場所、ということですが、義経が静御前を連れて行けなかったのは女人禁制の大峰山に入るため。この女人禁制は未だに敷かれており、この先行くことになる山の事を思いながらしばしぼーっと潜居の間を眺めていました。

吉野山 峯の白雪踏み分けて
入りにし人の 跡ぞ恋しき
– 静御前

吉水神社のあとはさらに吉野水分神社に立ち寄り、ようやく金峯神社へ。いずれの神社でも御朱印を頂き、まだこの時点では登山しにきたんだか社寺巡りしにきたんだか分かりません。

金峯神社の横に東屋のような建物があり、そこで登山の準備を整えいざ出発。とはいえこの時点で既に12時前。行動時間は限られているので、この日行ける範囲にある山小屋・二蔵宿小屋(にぞうしゅくのこや)まで行くことにしました。初日の行程はあっという間で、14:30くらいに小屋に到着しました。


初日お世話になった、二蔵宿小屋。

一人かぁ、と思いながら荷ほどきなどしていると、もう一人登山者が現れました。60過ぎ?くらいの方かと思いますが、すごく気さくな方で、二人で19時くらいまで喋り通しました。上の廊下や冬の八甲田山の話などすごく楽しませて頂きました。お互い名乗ることはありませんでしたが、私は無事大峯奥駈道踏破を達成しましたよ!この方の話で特に印象に残ったのは、歳を重ねていくにつれて”登山”をどのように位置付けるか、という話。体力が衰え以前ほどの判断力もおそらくない今、発展や派生とは少し違う。”熟成”というのが一番近いと思う、という彼は、歴史や文学などに関して非常に詳しく、山行時にもそういった知識をもって周りを見ながら歩くので、俺と同じ道を歩いていても見ている観点が全然違ったのでした。なるほど、当たり前のことではあるけれど、ただ単に踏破した、ピークに立った、ということではない登山の楽しみ方というのが年を経るにつれ熟成されていくのかな・・・何て事を思いながら、20時前には就寝。

2日目に続く→

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