最近思うことをつらつらと書いていく。
クライミングの面白さとはなにか。他人との勝敗に拘ると辟易する自分は、自分の甘さや弱さの克服というような、誰かと、というより、自分との戦いが面白さだと感じている。そもそもクライミングにハマったのは、その辺の面白さが自分に合っていたから、というのがあった。ライバルがいればそれはそれで燃えるが、次元が違う才能の人は「すごい!」と思うにせよ、彼らは彼ら、自分は自分、という気がする。正確には、自分との”戦い”というより、”磨く” “研鑽”というのが近い。クライミングを通じて得たものは本当に大きく、自分がもっと上手く(技術、知識、等)なって、最終的にはそれを周りの人たちになんらかの形でフィードバックできれば、と思っている。技術や知識をフィードバックするという意味ではなく、クライミングを通じて自分を高めていった過程そのものを、色んな人に共有できればいいな、と。クライミングとの関わり方にどんなものがあるのか。今はまだ、なかなか「これだ!」というものが見つからず、これが最近の悩みの種だったりする。
そんな中、仕事に対する疑念が湧き始めている。そもそも金属建材を売ることは自分の信条に沿っているのか?という自問自答を、毎日している。”究極のエコとはモノを買わないことである”と本気で思っている中、今いるところではブランド品やIT製品をどんどん売るための店舗の内外装を、作って売っている。今の自分に何が出来るわけではないにせよ、「世の中もっと解決しなければいけない問題って山積しているのではないか?」と、心底思う。自分が疑問に感じていることを周りの全員が平然とやっているという状況を見ると、釈然としない思いに駆られる。クライミングという行為を通じて、間接的にでも社会に貢献できるような事(仕事)がなにかないか?この問に対する答えを、最近は毎日探し続けている。年齢制限に引っかかる微妙な年齢(資格等)に差し掛かっているので、正直少し焦っている。ただ、急いてはことを仕損じるので、早急に結果を追い求めないほうがいい、というのも感じている。
「所属する会社の商品が間違った存在であるならば、それを少しずつでも役立つような存在にしてみることを先ず考えたい」という意見もあった。今いる場所で何か周りを変えたり引っ張ったりして、周囲のヒントになる存在になったらどうか、と。現在扱っている”金属”自体が悪い、とは実は思っていない。岩や山で使用するATCやアイゼン、ピッケルも金属だったりする。問題はそこではなく、用途、にある。
エコな暮らしを突き詰めていく中で、「ブランド」のみで理解できない高額になる服・アクセサリーなどが、全く理解できないようになった。知人の奥さんの務めているブランド企業の新年会は、一流ホテルの宴会場を貸しきって盛大に行われたらしいが、暴利を貪っているようにしかどうしても思えない。逆に、販売価格を安くすればするほど虐げられる人も増えていくので、ようは「適正価格」が重要なのではないかと思う。話が少し逸れたけど、クライミングをやり山に行くようになって、殊更にそういった「高級ショップ」の存在に疑問を持つようになった。山の会の女性陣のファッションは全てクライミング・登山関連で(当たり前だが)、さらにメイクもナチュラル。最近は、それがとても素敵なことに思えてきている。
直属の上司は、自分が今完全に否定する業界のド真ん中にある某ブランド企業に居た。しかもそんな上司は次期社長。この人に自分のこの考えが理解してもらえるとは到底思えない。この議論をすることは、彼の前職を否定することになるので、議論することによる対立もできれば避けたい。同僚達と作ったクライミング部”スピリッツ”のメンバーには心苦しい事だが、日に日に現職を続けていける自信がなくなってきている。もう、本当はほとんど答えが出ているのだと思う。もし決断するならば、タイミングを逃さないようにし、今後ぶれてしまうようなものにしてはいけない。
「形のないもの(=サービス)を直接エンドユーザーに売る」という商売のほうが自分に合っているのではないか、というのはずっと感じていた。10代の頃、今の自分の方向性(=熱苦しい)を形作ってくれた”師匠”と出会った(=もっと熱苦しい人)。当時は池袋にある某飲食店の店長だったのだが、去年知り合いの結婚式で再会した際に「今まで雇ったアルバイトの中で、川口程のやつは未だに会ったことがない」というようなことを言ってくれた。店長は、数店舗の店を渡り歩いて、今では数店舗掛け持ちで見ている。自分はバイトの頃はウェイターとして飲食店のお客様に、前職も留学カウンセラーとしてサービスをエンドユーザーである学生さんたちに売っていた。今回、初めて形あるもの(=金属)をエンドユーザーではなくビジネスユーザー(=ブランド企業など)に売るということをしているが、多くの人達(エンドユーザー)と直接接して、形のないものを売る、という方が、きっと自分には向いているのだと最近殊更に思う。更に、仕事を通じてクライミングにも関わっていきたい。人生の一時期でもクライミングに触れて、それが少しでもその人の今後のためになるのなら、それがなにより素晴らしいことだと思う(もちろん、続けてもらえれば尚良いが)。こんな、自分の理想を体現できるような職業が他にあれば、すぐにでも挑戦してみたい!というのが今の正直な気持ち。「マルチピッチをやり始めたら再び海外に出たくなるかもよ」なんてことを山の会の女性クライマー陣に言われたが、本当にその可能性も否定出来ない。
天職は、英語で”Calling”と言う。天に呼ばれて就く職、というニュアンス。自分も”呼ばれた”感覚に従って、次の方針を決めたいと思う。どこに行き着くかなんて、誰にもわからない。誰もが、発展途上で死んでいく。その時その時で、一番だと思う選択肢をできたらいいと思う。いくつになろうと、攻めの姿勢だけは崩したくないし、崩さない。
一生全力疾走!
ステキなブログだと思います!なんていうか…
こういう感じの記事は共感できます!
勉強になりました。またきます!