先日、『凍』を読み終わりました。
過酷な状況でも登り続け(下山も含め)生還を果たした氏の生き様には凄まじい物を感じましたが、自分のクライミングはどこを目指しているのだろうか?と考えてしまいました。
というより、今も常に、考えています。
現在は『青春を山に賭けて』を読んでいますが、いずれの本に登場する方たちも(『神々の山嶺』も含め)、自分から危険な所に突っ込んでいって危険な目に遭い、九死に一生を得て生還(しない場合も・・・)しています。
「なぜそこまでして登るのか」 こう問う声が自分の心のどこかから聞こえてくる一方で、
「でも、なぜかそれにすごく納得し、さらに憧れている」 自分もいる。
今まで以上に、技術や知識や経験など、クライミングの世界にもっと浸かりたい。クライミングしながら世界を転々としている世界のトップクライマー・・・そんな生き方に憧れている自分がいます。
こんな話を部の人にしたところ、こんな返事が来ました。
「凍」を読んで、俺何やってんだとか、「神々の山嶺」読んで、エベレスト行かないと山やってるって言えないんじゃないかとかいろいろ考えましたが、イチローの様に打てなきゃ野球やっちゃいけないってことじゃないのと一緒で、それぞれのレベルで好きだからやってるんですよね。当たり前です。
山の世界の場合、高レベル=危険度も高い的なところもあり、「好き、楽しい」と危険の折り合いが難しいところがありますね。
奥深いトピックで、きっと今後も心の何処かでは考え続けるんじゃないかなぁ、と思う。