“英語”というものに関して思うことをツラツラ書いてみる。
数年前に取得したTOEICが想像以上に役に立っている。就職から予備自衛官までTOEICのスコアのおかげで応募条件をクリアした。「TOEICはその人の英語の実力を測れない~」云々言う人には、とりあえず黙ってTOEICの高スコア取っとけ、とお伝えしたい。
が、同時にやはり英語はあくまでツールであってスキルではない、と思っている。俺はいずれ完全な翻訳機が完成すると確信していて、そうなると英会話の能力は今ほど需要がなくなる、と思う。完全な翻訳機が実現可能かどうか、という部分に懐疑的な目を向ける人も要るけれど、人が想像できる殆どの物・事は実現可能だと俺は思っていて、翻訳機は間違いなく実現可能なものだと思う。ポケベル時代にスマホを想像できたか、といったら想像できている人はいなかったかいてもごく一部で、それでも現実に今スマホというデバイスは人々の手元に普通に存在している。こんな風に、翻訳機もスマホみたいに、というかスマホにアプリかなんかで搭載される日が来るのではないか。
小中高と日本で英語を必死に教えようとすることに若干違和感を感じている。日本人が必死に第二言語として英語を勉強している間、英語が第一言語の国では他の勉強に注力できるわけで、そういった意味では日本で英語を勉強させている時点で機会損失を招いているような気がしてならない。留学にしてもそうで、語学を機械等に任せることで”語学留学”には消滅してもらって、より専門性の高い留学や自分の能力を国外で試してみるための留学、というような形に昇華していったらいいな、と思う。
逆説的、というかある意味当たり前かもしれないけど、英語の能力を上げるにはそもそもベースとなる日本語の能力を上げる方が先決。語彙・文法・慣用句、等々、自分の中の日本語がしっかりしていないと日本語⇔英語を訳すことなんて到底無理なのは自明の理。英語を勉強している多くの人はまず日本語能力を向上させるのが先だと思う。
英語で食っている人が英語の恩恵を受けられなくなる日に備えて何が出来るか、といったら正直特に出来ることはなくて(笑)、そんな日が来ても全く問題ない「生き抜く力」を色んな経験や体験から身につけていくことかな、と思う。俺は「よく分からないけどあの人がいると何とかなる」というジェネラリストのスーパーサイヤ人みたいな人間を目指していて、その「何とかなる」部分の一つが英語というツール。
…そんなことを考えつつ、通勤中。