大峰奥駈道4日目。奥駈道は大きく分けて釈迦ヶ岳より北を北奥駈道、南を南奥駈道と分けることが出来、この日から所謂南奥駈道に突入することになります。事前情報として知ってはいましたが、南奥駈道から先は水場が乏しく、水がある場所は稜線から谷側に下っていく必要があります。また、北より南奥駈道の方が熊の出没が多いというのも聞いており、色んな意味で北よりも南の方が「本番」という印象が強いです。4日目の水場の少なさを知っていたので、前日孔雀岳手前の「鳥の水」で4日目の分も含め水を4.5L入手していたのですが、鳥の水が涸れていた場合結構厳しくなっていたと思います。夏の奥駈道縦走は暑さや水場の観点から、個人的には控えた方がいいように感じました。それはさておき、日が多少昇り薄明るくなった5:30くらいに小屋を出て出発。出だしは調子が良く、コースタイムよりも速いスピードで証誠無漏岳(しょじょむろうだけ)あたりまで行けたと記憶しております。この辺はアップダウンがそこまで厳しくなく、かなり歩きやすかったです。
南奥駈道突入時の看板。出発してすぐなので太古ノ辻あたりだったと思いますが記憶が定かではありません。
深仙小屋から天狗山までの道中は、小屋の案内にも地図にも「熊注意」というようなことが書かれているので気が気ではありませんでしたが、無事遭遇することなく切り抜けることが出来ました。スピードがかなり出ていたのは熊に遭遇したくなかったから、というのも大きいです。この日は雲が出ており太陽を隠していたので、どんよりとしており気分が冴えないまま歩を進めていきました。
このままどんどん進んで行き、地図のページが裏面に切り替わり、証誠無漏岳を越え持経ノ宿でトイレを借りたりしながらさらに先に進みました。ここまで誰ともすれ違っておらず不安でいっぱいでしたが、持経ノ宿がかなり立派で少し安心した覚えがあります。持経ノ宿を過ぎると一旦舗装された林道に入り、その先に改めて「登山口」が現れます。4日目を分割するとするならば、深仙小屋から持経ノ宿までが前編、持経ノ宿から行仙山小屋までを後編と位置づけられると思います。
標高を1,000m台まで下げた持経ノ宿周辺から、標高1,282mある山・転法輪岳(てんぽうりんだけ)を目指しますが、これが結構足にきたと記憶しています。道中ある平治ノ宿(小屋)の外に丸太の椅子?が多く配置されておりそこで昼食を摂りましたが、深仙小屋に「平治ノ宿周辺に熊の目撃情報あり」という貼紙があり周囲を警戒しながらの食事となりました。転法輪岳から隣の倶利伽羅岳(くりからだけ)へは問題なかったと思いますが、その先の行仙岳への登りがめちゃくちゃキツかった!振り返ってみても、今回の山行の中で指折りのキツさだったと思います。ただ登るだけではなく、せっかく上げた標高を毎回思いっきり下げてから登らされるので、そういった精神的な厳しさもあったかと思います。行仙岳山頂に至った時点でへとへとだったので少し座って休憩し、そこからまた標高を下げ行仙山小屋へ。行仙山小屋は持経ノ宿よりもさらに広い山小屋で、非常食からコンロ、洋式トイレ、電気、充電設備など、「生きていく」上で必要と思われるものが殆ど揃っていました。
2日目は朝小屋でおじさんと別れを告げて出発したので厳密には同じ日の中で一応人と会話していますが、4日目のこの日は前日(3日目)の午前中に人と会話して以降誰ともすれ違っていないので、真の意味で誰とも会わない一日となりました。結局翌日の午後まで誰とも会わないので、結果的に48時間以上誰とも会わなかったことになりました。
行仙山小屋の充電設備は非常に充実していたので、この日はスマホに加えてモバイルバッテリーも充電させてもらいました。これでバッテリーの残量はまったく気にしなくてよくなったので、この夜はiPhoneで久々に音楽をかけることに。行者還避難小屋、深仙小屋、と2泊過ごした中で、無音というのが結構堪えていたので音楽が鳴っているだけでかなり気分が違います。LEDの電気もあり、音楽を聴きながら本を読み過ごしたこの夜は割と安心できていた気がします。贅沢を言えば、あまり広い小屋だと電気を消したあと広がる真っ暗な空間が恐ろしく、そういった意味では狭いテントの中の方が安心できたりもします。夜中に屋根をバタバタバター!と撃つ音があったのですがあれは通り雨だったのだろうか、それとも鳥の群れ・・・?この日、持ってきた模倣犯(一)を読み終わってしまい、翌日頭から読み返す羽目になりますがそれはたいしたことではありません。天気を気にしつつ、20時前に就寝。
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