長崎に来たら行くと決めていた原爆関連の施設やスポット。熊本城の悲壮な姿、雲仙普賢岳噴火による災害・・・そしてここにきて原爆。九州編は今回の旅で内容的には一番重いものになっているような気がします。長崎原爆資料館には思わず目を逸らしたくなるような資料が多数展示されており、世界史をオーストラリアで学んだので詳細を知らなかった長崎での出来事をようやく知ることが出来ました。
壮絶すぎて・・・言葉を失いました。
入ってすぐにあったのは、オバマ大統領が広島を訪問された際書かれたという直筆のメッセージと、本人が折られた折り鶴。2016/11/30まで展示してあるということで、タイミング良く見ることが出来ました。
We have known the agony of war. Let us now find the courage, together, to spread peace, and pursue a world without nuclear weapon.
私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう。
溶けた6本の瓶
爆心地より約400mの商店街から発見されたもの。高熱のため瓶の上部が溶けてくっついている。
Six melted bottles
Found in the ruins of a store about 400 meters away from the hypocenter, these bottles melted at the top and stuck together.
柱時計
爆心地より南へ約2.8kmの元船町の民家にあったもので、爆風で損傷した。原爆炸裂の時刻である11時2分を指して止まっていた。
Wall clock
Used in a house in Motofuna-machi about 2.8 kilometers south of the hypocenter, this clock was damaged by the blast and stopped at the moment of the explosion (11:02).
原爆資料館で様々な資料を見たあとは、すぐ近くにある「原爆落下中心地公園」へ。ここには浦上天主堂の遺壁も移設されていました。
この黒味影の石柱が中心地を示しているそうで、案内板にはこのように説明されていました:
1945年8月9日午前11時2分、爆撃機B29により投下された原子爆弾は、この地上500m上空でさく裂、爆風と熱線と放射能によって市街地は廃墟と化しました。そのため長崎市の北部一帯は全焼し、約15万人の死傷者を出しました。
At 11:02a.m. on August 9, 1945, an atomic bomb exploded 500 meters above this spot. The black stone monolith marks the hypocenter. The fierce blast wind; heat rays reaching several thousand degrees and deadly radiation generated by the explosion reduced the city center to ruins. About one-third of Nagasaki City was destroyed and 150,000 people killed or injured.
浦上天主堂遺壁
爆心地から北東へ約500mの小高い丘にあった浦上天主堂は、1895年(明治28年)から建築に着手し、信徒たちと献金と労働奉仕により、1914年(大正3年)に献堂式を挙げるにいたった。そして、1925年(大正14年)に正面の双塔が完成し、大小の鐘が吊された。東洋一の壮大さを誇った天主堂であったが、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった。Urakami Cathedral Wall Remnant
Urakami Cathedral was located on a small hill about 500 meters northeast of the atomic bomb hypocenter. Construction of the church was started in 1895 and completed in 1914 through donations and voluntary labor service by Catholic believers. In 1925, the bell towers at the church entrance also reached completion. the explosion of the atomic bomb at 11:02 a.m., 9 August 1945 destroyed Urakami Cathedral, the grandest church in east Asia at the time. Only the broken church wall remained.
雲がありましたがこの日は晴天。あまりにも平和な空を眺めていると、どうも複雑な気分になりました。
「涙ふくハンカチの色をした 雲が北へと流れてゆく・・・」ドラえもんの映画の歌詞が頭の中で流れていました。
落下中心地を訪問したあとは、歩いてすぐのところにある「平和祈念像」へ。修学旅行なのか、女子中学生の集団が訪れていました。下の写真の噴水は、ウェブサイトの説明(噴水前にも同じ説明文が設置されていました)によると:
昭和20年8月9日原爆のため体内まで焼けただれた被爆者は「水を」「水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて、めい福を祈り、あわせて世界恒久平和を祈念するため、核兵器禁止世界平和建設国民会議と長崎市は、全国からの浄財を基として、ここに「平和の泉」を建設しました。
長崎市 平和・原爆よりMany of those who were killed in the atomic bombing died as they called for water, water… This fountain, which was constructed with contributions from around the country, is dedicated to their memory and represents aspirations for lasting world peace. The inscribed passage is taken from the diary of a young woman who experienced the bombing. She wrote, “I was so terribly thirsty…” The constantly changing pattern of the falling water represents the wing-beats of a dove of peace, and also symbolizes Nagasaki harbor, known as the harbor of the crane.
from website: Nagasaki City – Peace & Atomic Bomb
のどが渇いてたまりませんでしたが
水にはあぶらのようなものがいちめんにういていました
どうしても水が欲しくてとうとうあぶらの浮いたまま飲みました
I was thirsty beyond endurance. There was something oily on the surface of the water, but I wanted water so badly that I drank it just as it was
駐車場に戻る途中、展望台があったので少し立ち寄りました。当時の写真と現在の風景を見比べると、とても同じ場所にいるとは思えません。スクラップ・アンド・ビルド・・・何が起きても復興する日本の姿には、こんな言葉が当てはまるのではないか、とふと頭を過ぎりました。
今こうして旅が出来ている時点で日本はずいぶん平和なんだろうと思うし、そもそも旅をするという選択肢を選ぶことができ、さらに言えば旅をしようと思える環境にいる時点で、幸運に恵まれているんだろうと思います。世界規模で見て今の世の中が平和かどうかと言われると、むしろ平和ではないんじゃないかって気がします。オバマ大統領が広島を訪問されたのは英断だったと思いますが、次期大統領に変わったあと、アメリカが、世界が、どのように変わって行くのか・・・。あとからこのブログを見返したとき、より良い世界になっていることを祈ります。
長崎には日本人だけではなく世界中の人々に訪れてほしいと思いました。実際、今回訪れたときも多くの外国人の方が真剣な面持ちで資料館を巡っていたのが印象に残りました。
No words can justify this act.
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