単独行者(アラインゲンガー)という、加藤文太郎を主人公にした小説があります。孤高の人とは違った切り口で加藤文太郎の人物像を描いている話ですが、昨年後半に残り40ページ程の所まで読んで止まってしまっています。
主人公の過酷な運命が分かっていながら読み続けるのは、辛いものがあります。読み終わらない限り、アラインゲンガーの中の加藤文太郎は生きている。でも、読み続けてその結末を迎えてしまう事で、物語の世界の加藤文太郎の運命が確定してしまう気がして、読み進める事ができない。
シュレディンガーの猫、という仮想実験があります(このブログでも軽く触れていますが)。簡単に言うと、箱の中で毒ガスを受けた猫の運命は、箱を開けるまで確定しない、というもので、生死は常に50%50%で同時に存在している、というもの。小説や映画にはそういう面がある気がします。読み始めるまで、見始めるまではその世界を空想し、その世界はまだ確定していない。でも、読み始め、見始める事で徐々にその世界が確定していき、見終わった時点で登場人物たちの物語や運命は確定されてしまう。
そんなことを思う、4月1日。
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