心の年齢は常に若く

脂肪たっぷりで週末は寝てるかパチンコか、みたいな社内の4、50代のおっさんに「もっと色んな事をしたらどうか」と言うと、「この歳にると~」みたいな年齢を理由にした言い訳が始まり、「君も同じ歳になれば分かる」とまさかの諭しが入る。

クライマー仲間や千葉の山岳会の人たち、それも俺のひと回りもふた回りも上の人たちが、山や岩場を縦横無尽に駆け巡る姿を見ると、俺より明らかにタフで、年齢を理由にアクティブになれないというのは成立しないという事を身もって知らされる。

そんな話を冒頭のおっさんに話すと、「それは極一部の人で~」なんて話になるから、もはや会話にもならない。ようするに大多数の人はそうではない、と言いたいんだろうが、俺がその”少数派”に属さないとなんで現時点で分かるのか?客観的に見ても、今から自分が非アクティブな人間になるというのは考えにくい。

こういう「※※歳になれば分かる」論は実は昔から言われ続けていて、いい加減聞き飽きている。10代後半の頃は20代前半の人に「10代はいいね」なんて言われ、20代前半になると20代後半の人が「若くていいね、後半になると~」とか言い始める。そんな事を言われるたびに「あんたらと同じ年齢になっても俺は年齢を理由に自分に言い訳をしないし、年下の人にそんな事は絶対に言わない」と決意を新たにする。

実際30手前になった今も、その考え方は全く変わらない。結局、何歳になっても年上ってのは存在していて、いくつになっても「若くていいね」論というのは存在する。逆に考えれば、現時点での自分というのは常に誰かから見れば”若い”。10代、20代と生きてきて、毎年「人生で一番充実した一年」を更新している。身体の年齢と心の年齢は比例しない。

知り合う人が山屋やクライマー、さらに自衛官の人まで加わって尚更自分のアクティブさに磨きがかかってきている中、久々に過去に知り合った同年代の友人と再会して飲んだりすると、「行動力やアクティブさが凄い」なんて事を言われる事が多い。が、上の方でも書いた通り俺よりタフで行動的な4、50代の人が周りに大勢いるので、全然そうは思わない。むしろ動き足りないとすら思っている。

忙しい事を言い訳にした時点で終わりだと思っている。忙しい、という言葉の裏側には、それは優先順位が高くない、という真意がある。つまり、忙しいからできない、というのを言い換えると、「それは優先順位が低いので今はできない」ということになる。俺は「その時点で自分の最もやりたい事」を常に優先しているので、会社でよく「仕事する暇がありません」と言っているんだけどこれは結構本音だったりする。

同年代の皆よ、どうか忙しいという事を言い訳に立ち止まる事なく、行動的であらんことを!

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