奈良放浪記其の六: 日本最古の縦走路・大峯奥駈道を行くDAY6(最終日)

大峯奥駈道最終日。4時に一旦起きたこの日でしたが、まだ真っ暗で起きる気がせず、結局起きたのは5時過ぎ。寝すぎたかな、と思いつつも、この日はコースタイム7時間程度と余裕な行程だったので6時過ぎに出発できるように準備を進めました。テントが妙に湿っており、もしかして雨か・・・!?と心配になったものの、外に出てみると雲ひとつない快晴!!最終日にこんなプレゼントが・・・と、朝からテンションが一気に上がりました。あとの方で少し霧がかったエリアもあり、湿っていたのはどうやら霧のせいだったようです。食事をして準備を済ませてテントから外に出てみると、日が昇りつつあった東の空に彗星のような物体が。あとから調べても彗星の記事は一切出てこず、結局あれがなんだったのかは分かりませんが確実に尾ひれを持つ球体が右から左に移動していきました。小さな隕石か、それとも古い衛星の欠片か・・・。


この写真では全然分かりませんが・・・


少しズーム、真ん中に白い点が・・・


さらにズーム、この白い点がおたまじゃくしみたいな形をしており、右から左に流れていきました。

この時点でほぼ6時ジャスト。昨日降りてきた道の方から鈴の音が聴こえてきている気がして「まさかな・・・」と思っていたのですが、鈴の音はどんどん大きくなり登山者が一名登場しました。ある程度標高を下げないと誰とも会わないだろうと思っていたので、まさかの遭遇です。弥山から入ったというこの方と軽く挨拶を交わし見送って、撤収作業を続行しました。撤収作業はすぐに終わり6:10にいざ出発すると、すぐ近くの分岐点で先ほど見送った方が地図を見ながら吟味していました。俺としては間違いなく右だと思っていたので(というより標識が出ている)迷わず右に進み、以降少しの間鈴の音が後ろで聴こえていましたがすぐに遠くなり聴こえなくなりました。この朝は風もなく天気も快晴で、テントを張っていた770m地点から一気に1,078mの大森山まで高度を上げますが、コースタイムの2/3くらいで一気に駆け上がりました。天気はもちろんのこと自分の気持ちがいかに重要か、今回の山行で嫌というほど思い知ったような気がします。


大森山すぐ手前の地点にて撮影。天気は絶好調に快晴!見事な雲海が広がっていました。

相変わらずアップダウンをくり返しながら(70m一気に上げたと思ったら300m一気に下げたり)、車道や電波塔?などだんだん人の匂いがしてきたところで、地図に「広場」と書いてあるところに到着。その広場にはかなり立派な遊具があり、この時点で「子供でも容易に来れるところまで来たか・・・」とホッとしたような感慨深いような、そんな気持ちを抱きました。

遊具のある広場からさらに標高を下げながら進み、ついに旅はクライマックス。ある「場所」に向かいます。旅の間ずっとこの場所の詳細が分からなかったのでワクワクと不安の入り混じった気持ちで向かっていたのですが、ある意味「思ったとおり」の場所でした。大峯奥駈道は地図上太い薄ピンクで示されているのですが、大峯奥駈道の最後の最後だけ”破線”の薄ピンクになっており、どうも川を渡っているように見えます。奥駈道と分岐したコース(赤い細線)を辿ると一旦破線を進み車道に入って橋を渡るように表示されており、このエリアの詳細が実際どうなっているのか分からなかったのでした。大峯奥駈道をやった方のブログを以前読んだ際は「クライマックスは川を渡る」と書いてあったのでまさか・・・と思っていたのですが・・・


太い薄ピンクの線は破線になり川を超えています。

実際到着してみると、太い薄ピンクの線は橋も何もない川を渡った先を目指すように描かれていました。かなり悩んだ結果、「これはもう、行くしか!!」と決意し、靴と靴下を脱いでズボンとアンダーレイヤーを膝上までまくり川に突入。6日間の行程で思いっきり痛めつけられた足裏に川の中の砂利が突き刺さりまさしく苦行。しかも川が思ったより深く、膝上より少し上まで水に浸かってしまいズボンとアンダーレイヤーが濡れてしまいました。それでも、なんとか川を渡りきり一安心。まさか最後の最後に渡渉するとは・・・本当に最初から最後まで修行です。


川を渡りきった後に振り返る。対岸ををよ~く見ると階段があり、そこから降りてきました。


この川原を進んでいけば熊野本宮大社の旧社に辿り着きます。


ログもこのように、川に突っ込んでいます。
渡る手前でウロウロしているのは逡巡していたからですが、6日目に川に突っ込む判断を下した自分を褒めてあげたい。

上のログの写真にも書いてある「大斎原(たいゆうはら)」というのが以前熊野本宮大社があった場所らしく、明治22年の大洪水で建物が崩壊してしまったようです。ゆえに、大峯奥駈道としてはこの旧社(以前本宮大社があった位置)を目指すのが本来の姿で、そこが一応のゴールということになるようです。現在の大斎原には巨大な鳥居が立っており、今回はこの鳥居をくぐってさらに先にある現在の熊野本宮大社を目指しました。


大斎原にある鳥居。これはくぐったあと振り向いて撮った写真で、道を手前方向にまっすぐ進むと熊野本宮大社に向かっていきます。

上の写真から歩いて5分程度で熊野本宮大社に到着。人や車の往来が多く、世俗的な雰囲気が漂うエリアだったのであまりゴールした感慨というのはなく、とにかく「これでもうアップダウンの激しい山道を歩かなくていいんだ・・・」というナニカから開放された気分でいっぱいでした。最後の最後に本堂へ向かうアップはありましたが、これまでの行程と比較すればたいした事はありません。


ようやく到着!熊野本宮大社。


最後のアップ。これを登れば熊野本宮大社の本堂です。


階段を登りきると、ついに本堂!長い旅がようやく終わりを迎えました。

ついに旅の終焉です。上の写真の奥の門をくぐり本堂に参拝し、そこでログを切りました。ログを改めて見てみると:

距離: 86.9km
最高高度: 1,918m ※八経ヶ岳は1,915mなので誤差
累計高度(+): 7,181m
累計高度(-): 7,837m

でした。距離と最高高度はともかくとして、累計高度±が激しすぎる!!大峯奥駈道DAY1の冒頭に書いた通り標高200mの吉野駅から標高750mの金峯神社までも歩いているので、累計高度はさらに550m加算され、距離もトータル90kmを超えていると思います。グラフのギザギザの激しさに、今回の行程のアップダウンの多さを改めて図的に見たような気がします。

参拝したあとは地図に載っていたバス停に行き、時刻表を見ると13:22に新宮行きのバスが来ると書かれている。バス停に着いたのは13:20。なんという幸運!すぐに来たバスに揺られながら新宮駅に到着。新宮駅からは那智の滝など近隣の観光スポットへも行けたのですが観光する気力や体力があるはずもなく、5時間半かけて鈍行で名古屋の祖父宅に着いたのが21:15。久々に「まとも」な食事を食べて「まとも」な寝床で寝ました。

ありきたりな感想になりますが、今回は日常生活で普段は当たり前だと思っているもののありがたさを文字通り身をもって痛感しました。人が居ること、水があること、電気があること、トイレがあること、熊が居ないこと、布団で寝られること・・・どれも普段は当たり前だと思っていることですが、何もない状況にポーンと一人で置かれると身に沁みてそれらのありがたさが分かります。一人で過ごした数泊の夜は、友人や両親、昔付き合っていた人のことなど、色んな人のことを思い出しました。また、そんな状況では、音楽や小説など文化的なものに触れるだけで少し安心することを知りました。持っていった装備の中では今回の山行でもGPSが大活躍し、iPhoneは自分の中で欠かすことの出来ないパートナーとなっています。

でも何故だろう・・・あれだけ山の中にいたときは「帰りたい」と思っていたのに、いざ世俗的な世界の中に戻ってくるとあの静か過ぎる山の中が無性に恋しくもなっています。正直5泊はしたくありませんが、1泊くらいなら、定期的にあの環境に身を置いて「当たり前のモノ」のありがたさを体感してもいいのではないか、と思っています。大峰山寺も開いており人も多く入っているという点ではゴールデンウィークあたりが大峯奥駈道のベストシーズンなのかもしれませんが、気候も安定しており(あの一体は降雨量が多いらしいです)人が極端に少ない10月の大峯奥駈道もまた違った魅力があるように思いました。

次の目的地は10/24から行く屋久島と10/30から行く石垣島。また始まる旅の日々に備えて、今は身体をゆっくり休ませたい。完全に余談ですが、ジョジョ好きな俺としては熊野本宮大社で荒木飛呂彦デザインのお守りを見たときは俄然テンションが上がりました。


スタンドにしか見えない八咫烏。


熊野本宮大社でも御朱印を頂きました。
金峯山寺と熊野本宮大社の御朱印を同じ行程の中で得たというのは、自分の中で大きな自信になりました。

大峯奥駈道編・完

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