Climbing days、再び

ブログの更新が遅々として進みませんが、前回より2ヶ月振りくらいの更新となります。

提出した退職願について、一旦停戦状態になったのでその経緯を簡単に書いておきたいと思います。

そもそも2017年7月に以前勤めていた留学会社に戻ってきたのは、ここ数年の経験を活かして留学希望者に以前よりも良い提案が出来たりサービスを提供出来るのではないか、と感じていたからでした。ところが、蓋を開けてみれば担当させられるのは留学以外の業務ばかり。条件だけを比較すればより良い企業から内定は出ていたし選考が進んでいた会社があった中、留学業務をするためだけに他社を断って戻ってきた以上留学業務を行わないのならその転職には何の意味があったのか。加えて社長に対しての嫌悪感が日に日に増していき、閉塞感を感じる日々が続いていました。

こんな状況だったので、現職に戻ったことは「失敗した」と常に感じていました。とはいえ職に就いた以上断った会社や以前の会社に戻ることも容易ではなく、さらに身内の不幸も重り、閉塞感は日に日に募るばかりでした。そのせいか以前はどっぷりとハマっていたクライミングや登山、読書も殆ど行わずただ毎日を消化するような日々を続けていました。

決定的にこの閉塞感を断ち切らなければ、と思い立ち、その原因ともいえる現職に別れを告げるべく退職願を提出したのが2月20日。この日以来、ようやく心に火が灯り思考も前向きになったように感じ、クライミングや読書という以前自分を間違いなく構築していた大事なものに再び没頭できるようになりました。

退職願を出した際は聞かれたから答えたということもありますが辞める原因となったことは社長にすべて伝えました。前回のブログにも書いた通り何故か3月30日まで退職願の保留期間とされ、2月20日以降は腫れ物に触るように扱われました。そのおかげ、といってよいのか分かりませんが、仕事への自由度が飛躍的に上がり、ようやく本来やりたいと思っていたような業務を行えるようになりました。辞めると決めてからやりたいことが行えるようになるというのは皮肉なものです。

前回のブログを書いてからすぐに保留期日であった3月30日になりましたが、その日が過ぎても退職願という存在が忘れ去られたかのごとく日々が続いていきました。相変わらず腫れ物に触るように扱われるおかげでやりたい仕事が出来る一方で、退職願は4月末に辞める前提で提出していたので辞めるなら辞めるで色々と準備もあります。

何のつもりか保留にしておいたのにもかかわらず話し合いの場を設けない会社(というより社長個人)に痺れを切らしてこらちらから話を持ち込んだのが4月中旬。色々と考えてこちらから話した内容は以下のようなものでした。

「正直、転職には失敗したと感じていた。留学業務に就くために他社を断って戻ってきたのにも関わらず、なんのつもりか何ヶ月もの間留学に全く関係のない担当にさせられていた恨みは忘れられるものではない。

ただ一方で、ようやく元々やりたいと思っていたことができる環境になってきたとも感じている。ここ数ヶ月間は転職に失敗したものと思っていたけれど、ここからそれを成功したものに変えることが出来るのであれば、退職願は一旦白紙に戻しても良い。

ただし勘違いしてほしくないのは、だからといってこれまでのことが全て水に流れるわけではない。外交で言えば貴方と私の関係は現在のロシアと日本のようなものだと思っていただきたい。戦争状態は一旦解消され国交は回復しているものの、平和条約は結んでいないし今の時点では結ぶ気もない。」

一言一句を覚えているわけではないけれど、おおよそこんなことを言ったと記憶しています。あくまでも停戦状態であって平和条約を結んではおりませんが、少なくとも「4月末日付の退職願」は消滅したこととなります。

4月は友人と映画を見たり飲みにいったりなどありましたが、自分の中での主だったこととしては5月以降の方向性に一旦決着がついたことだったように思います。

さて、そんなことがあった4月中旬以降。4月末から5月頭にかけて、日本ではゴールデンウィークでした。今年は休日の並び方が非常に微妙で、前半、後半と分けざるを得ず、社会人の多くが同様に2分割したようでした。毎年恒例となっている小川山クライミングを今年は前半に配置し、クライミング部の面々と相変わらず楽しいキャンプとなりました。肝心のクライミングはというと外岩のリード自体がかなり久しぶりであったこともあってリハビリ程度となりましたが、今後はリードについても定期的にジムに通い以前の調子を取り戻していきたいと感じた数日間となりました。

出勤という不本意な2日間をはさみ、5月3日の夕方俺は成田空港の国際線ロビーにいました。ゴールデンウィーク後半は5連休だったにもかかわらず予定が入っていなかった俺は、小川山の帰りの車のなかでオーストラリア往復の航空券が8万円前後で購入できることを発見し、親に相談して突貫でシドニー行きを決めたのでした。2018年ゴールデンウィークシドニー紀行については、また別のブログで書ければと思います。

閉塞感を退職願の提出で断ち切り、今はタイトルにあるようにクライミングな日々を送っています。一番クライミングにどっぷりとハマっていたのは、おそらく2015年の秋くらいまで。2015年の秋以降一旦途絶えたのは、2016年夏からの旅に備えて主に体力づくりに日々のトレーニングが移行したのと、旅の最中は山中心の生活でほとんどクライミングができなかったこと、さらに旅後半に山で手を怪我したことにより旅が終わってからもなかなかクライミングに戻れなかったというのがあります。

話をここ最近に戻し5月13日、この日はまず午前中にカラファテに新戦力(クライミングシューズ)を物色しに行きました。クライミングシューズについては2015年8月にロンドンに出張で赴いた際に購入した「ミウラー」を気に入って使っていましたが、昨年の夏くらいにつま先に穴が空き、最近は2014年10月に買って以来全然履いていなかった「テスタロッサ」をようやく使い出したところでした。このテスタロッサが完全にサイズを攻めすぎていて特に外岩では全然履けず、テスタロッサをジム用としてカラファテでは主に外岩用の靴を探していました。色々履いた末購入した新戦力は「カタナ」。どれくらいの戦闘力を発揮してくれるか、今から楽しみです。

同日午後はいつ振りか分からないくらい振りのロックランズへ、Oさんとリードのトレーニングに向かいました。早速使用したカタナの効果があったのかなかったのか、数年振りに5.11aというグレードを完登。体感的には10cあるかないかくらいではありましたが、ここはあくまでもジムが付けているグレードに甘えさせていただくとして、11台への復帰を果たしたということにさせていただきます。ボルダリングでは3級を平均的に落とせるようにはなってきているので、1年前くらいまでは実力を戻せてきたのかなというところです。

そして昨日5月20日、クライミング仲間らと外岩ボルダリングをしに何年振りとなるか分からない御嶽へ。朝6時半に起きて、9時40分くらいに着いてさっそく向かったのはこの日行く予定だったトラバースボルダー。この岩がなかなか攻略が難しく、結果的に完登には至らなかったのでまた挑戦しに行きたいところです。その後ピンチオーバーハング岩に移動し、5~4級の課題に挑戦。最終的に4級の課題が落とせず泣く泣く蕎麦屋に移動しましたが、あの4級は余力があれば間違いなく落とせたので次回は必ず!

ピンチオーバーハング岩
ピンチオーバーハング岩

ようやく再びクライミングに没頭できる日々が訪れました。ボルダリングもリードも目標のグレードを再び立てて、そこに至った暁には次は山ではなく岩中心の旅に出るのもいいかもしれない、などと考えています。

やっぱりクライミングは面白い!!

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