Prefectural Peak Hunting 40: 普賢岳


普賢岳山頂から見た平成新山。

熊本から移動した長崎にて、一夜明けた11月21日。事前情報として「平成新山という山が長崎県で一番高い山だが登山できず、登れる中では普賢岳が一番高い」ということは知っていましたが、雲仙普賢岳の噴火という災害に関しては自分が幼すぎる頃に起きたことなので全く知りませんでした。熊本の山と同じく雲仙普賢岳も山と高原地図がないので、雲仙温泉観光協会のウェブサイトの地図をスクリーンショットして利用させて頂きました。

もともと向かう予定だった仁田峠までは道の駅から1時間程度かかり、この日は6時くらいに道の駅を出たと記憶しています。6:45くらいに仁田峠への分岐点へ到着したところ、ゲートオープンは8時からという案内が・・・なに!?地図を見ると、別の駐車場がある池原園地という場所が近くにあるようですがナビで検索しても出てきません。ネットで調べてみると、池”ノ”原園地でした・・・紛らわしい。池ノ原園地には5分もかからないくらいで到着。仁田峠よりも標高的に下に位置しており、仁田峠までコースタイムで40分登り返す必要があります。


池ノ原園地にはこの時間車は0台。

○○広場、というのをいくつか越え、坂を登っていくこと25分。仁田峠に到着。


まだ8時前で、ゲートが開いておらず当たり前ですが車は0台。

ロープウェイで1,333m地点まで上がれるものの、例のごとくロープウェイは使用せず脚で登りました。途中で咲いていた綺麗な花、おそらくこれはミヤマキリシマだろうと思います。これが綺麗に咲き誇るという九重連山は絶対また行きたい!確か見ごろは4月~5月だったでしょうか。


最近は花の写真もよく撮ります。


もうすぐでロープウェイ乗り場。

この日は霧が凄まじく、ロープウェイ乗り場に着いてから見下ろした景色もこんなことに。

残念すぎてテンションがた落ちですが、雨は降っておらずそこまで寒くもないので、登山は余裕で出来る天候。この日は妙見岳、国見岳、普賢岳、と登る予定で、まずは妙見岳へ向かいました。どこが山頂だったのかいまいち分かりませんが、おそらく神社を過ぎたあたりが山頂だったのだろうと思います。


妙見神社。

次の国見岳(前日に同じ名前の山に登った気が・・・!?)は、笹が覆ってるわ鎖場があるわでなんだか大変な山でした。そして頑張って行ったのに山頂からの景色は・・・。

さらに先に進み、普賢岳への分岐から普賢岳方面に進むと、いくつか見どころがありました。その中で特に興味を覚えたものを紹介していきます。

西の風穴。異世界に通じていそうな不気味な長方形の穴でした。この風穴は「溶岩が冷えて小さくなる際にできた割れ目」ということだそうで、入口の岩は人工的に積んでいるそうです。この中には地震計と傾斜計が設置されており、現在も継続して火山活動が監視されているとか。

お次はヤマグルマ。世界に1科1属1種の珍しい植物ということで、垂直の岩壁にへばりつく様は力強いというより異様でした。いろいろと見ながら歩いていると、途中霧が一瞬晴れて眼下には街並みが。


前日の国見岳といい、天気に恵まれていない。

さらに歩みを進めていくと、霧氷沢という普賢岳山頂付近の場所に辿り着きました。ここで見上げた平成新山(があるだろう方向)がこちら・・・。

この日はここに至るまでずっと姿を隠しており、平成新山を見るのは半ばあきらめていました。が、霧氷沢から普賢岳へ向かう途中、視界がだんだん晴れてきたのでふと後ろを振り向くと・・・


これが平成新山・・・!

突然目の前にその姿が。ここは山頂直下だったので、少し歩けばすぐ山頂です。


山頂にて。目の前の山が普賢岳みたいに見えますが、この時点で居るのが普賢岳で目の前の山は平成新山。


三角点。平成新山が生まれる前までは普賢岳が長崎県最高峰でした。


パノラマ写真、歩いてきた稜線から平成新山まで


俺が登頂して少ししたら登ってきた福岡から来た若者たち。
平成新山を見て「九重よりいい!」と言っていたのでそれには反論しておきました。「いや、九重連山のほうがいい」

山頂に少し滞在し、下山。下山はこんな道をひたすら進みます。

下山後はせっかく雲仙に来たので雲仙温泉に行くことにしていました。仁田峠に着いて売店でおばちゃんに情報を聞いてみたところ、マップをくれました。さらに共同温泉2ヶ所と小地獄温泉という有名な温泉を教えて頂き、今回はその中から小地獄温泉に行くことに。情報ありがとうございます!仁田峠に着いたのは11時前ですが、この時間はかなりの車が停まっていました。が、俺の車はさらに下の池ノ原園地。まだ下りる必要があります。

池ノ原園地に着いてスクショしたログ。ぐるっと周回しています。内容としては難所もなくちょっとしたハイキングといった感じ。

着いた池ノ原園地で車をピックアップし、10分くらいで雲仙温泉エリアに到着。小地獄温泉に行ってみると・・・やってない!!仁田峠のばちゃんが「屋根が崩落したらしいから今やっているかしら・・・」なんて言っていましたが、心配は見事に的中しましたよ。

ということで次点の新湯共同浴場へ。温泉でさっぱりしたあと、もともとはすぐに移動する予定だったのですが「地獄めぐり」が面白そうだったので散策することにしました。

那須岳の殺生岩を思い出します。こんな環境でも咲いている花があり、調べてみると山茶花のようです。ついでに今調べまくってみたところ、どうやら香川の竜王山で見たピンクの花も山茶花だったようです。種類によってこんなにも色が違うのか・・・。画像検索で出てくる椿と山茶花って似てるな、と思ったら、咲く時期が違うんですね。いろいろと知らないことが多いです。


また花の写真です。

ここでは2ヶ所の社寺にも立ち寄りました。温泉神社と聞くと、これまた那須岳を思い出します。そういえば道後温泉にも温泉神社がありましたが、時間が遅かったので参拝できませんでした。


温泉神社。


満明寺。

地獄めぐりが終わったら、この日必ず行くと決めていた「雲仙岳災害記念館」へ。自分が小さすぎて名前くらいしか知らない「雲仙普賢岳噴火」という災害について、学びたいとは前日から思っていたことでした。山から下りて、道の駅の方向に戻ります。


施設外観。


振り返ると、目の前に雲仙普賢岳。


建物のウィンドウにはちょうど見えている山の名称が。

中はかなり見どころ満載で、当時のニュース映像などを見ると「こんなことが当時の日本で起きていたのか・・・」と驚かされます。日に日に成長したという溶岩ドームの姿はまるで意思を持つ生き物のようで、本気で不気味でした。そんな不気味に成長を続けて人的被害をもたらした溶岩ドームを見ていると、今年に入ってから何度も見たシン・ゴジラを思い出します(むしろ、シン・ゴジラが普賢岳を思い出させるのか)。

人間が共生できていると思っていた山が、その本性を現した瞬間、というような説明がされていたと記憶しています。平成新山は、日本で最も新しい山。数千年、数万年後には緑あふれる姿に変わっているのだろうか・・・と思うと、日々の悩みなんて所詮ちっぽけなものなのだな、と思い知らされます(これは山に行くとよく思うことで、悩んだり迷ったりしたら山に行くのが一番いいような気がします)。

災害発生から14年ぶりに発見されたテレビカメラに入っていたフィルムが、奇跡的に再生可能だったということで上映されていましたが、その映像は胸に迫るものがありました(撮っていたカメラマンの方は火砕流で亡くなっているそうです)。

地球全体でみると、自分ひとりの一生なんていうのは塵が舞うような儚いもので、でもだからこそ、一瞬のうちに終わってしまう一生の間にやりたいことはできる限りなんでもやらなくてはな、と感じます。”山が新しく生まれる”なんて圧倒的な現象を目の当たりにすると、遥か昔から在りこの先も在り続けるように思える山や大地も常に変化している、という当たり前のことを突き付けられているような気がします。諸行無常・・・この施設では、そんなことを思いました。

災害記念館のあとは島原城にちらっと寄り、翌日行く予定の佐賀県最高峰・経ヶ岳近辺の道の駅・長崎街道鈴田峠へ。長崎の道の駅を調べるとどうも数が少なく、この時に行った道の駅も2016年3月にオープンしたばかりということで、もしこの旅を前年行っていたとしたら困ったことになっていたと思います。この道の駅には経ヶ岳のある多良岳山地の地図があり、コースタイムなど詳細な情報は実に助かりました。そしてその地図の中には、というクライミングエリアが紹介されている!CLIMBING-netにも紹介されていました:

野岳
http://www.climbing-net.com/iwaba_detail/%E9%87%8E%E5%B2%B3/

いずれ阿蘇山や開聞岳、そして別のシーズンの九重連山に登るため九州には戻ってくる予定なので、その時は仲間と一緒にクライミングも楽しみたい。そんなことを思いながら、一杯飲んで就寝。翌日の経ヶ岳登山編に続きます。

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