大峯奥駈道2日目。この日は誰ともすれ違わず夜も一人だった孤独な一日で、思い返せば山で一日通して完全に一人だったのは初めてのこと。加藤文太郎を尊敬してやまない自分ですが、改めて氏の単独行のすごさの断片の、そのまた断片を垣間見たような気がしました。
前日談笑したおじさんと別れ、5:30ごろ出発。この日は調子が良く、小屋を出てすぐの大天井ヶ岳もサクッと登り、どんどん歩を進めていきました。
そして7時過ぎ、ついに女人結界の門に到達。
ここからは女性は入れないという結界が敷かれており、日本で唯一女人禁制のしきたりが続いているのが大峰山です。これには賛否両論ありますが、門の「女」の字を崩したり、近くの看板に落書きしたりと、そういったやり方は個人的には好きではありません。十分に議論をすれば良いことかと思います。と、そんな事を思いつつ門をくぐり結界の中へ。相変わらず天気が良く登りやすくて良かったのですが、何箇所かある茶屋(東屋みたいなところを想像していましたが、小さな商店街みたいなところでした)は全て閉まっており人が一人もおらず、これはもしかして山上ヶ岳にある大峰山寺も閉まっているのでは・・・?と嫌な予感が。要所要所にある行場も、一人で勝手に行うのはまずそう、というより怪我したらそれこそ助けを呼べずアウトなので、巻き道から入るか近くまで行くにとどめておきました。
たしか鐘掛岩から撮った写真。鐘掛岩へは巻き道から入りましたが、あとから調べてみると、他の方がブログにも書かれているようにやはり絶壁を登るのが行だったようで・・・単独行でフリーソロなんてさすがにできません!
有名な西の覗からの景色。実際はもっと奥に行き鎖を持って文字通り崖を「覗く」んですが、
一人でやって落ちたら本当にシャレにならないので手前でストップ。
行場を過ぎると山上ヶ岳直下に大峰山寺が。広大な敷地に色々な建物がありましたが、やはり無人!一人で無人の建物をいくつもいくつも通り過ぎるのはかなり寂しい。それにしても、標高1,700mくらいのところとは思えない立派な建物がいくつも建っていました。
本堂、5/3に開き9/23に閉まったらしい・・・やはり閉まったあとだったか!
月山の時も2日遅れで山頂の神社が閉まっていましたが、ここでもまた閉まっておりました。無人の山の無人の寺を後にし、沈んだ気持ちを引きずりながらその先へ。左・吉野金峯山寺、右・熊野本宮大社、というあまりにもザックリな石標に「何日かかるのやら」と思ったのを今でも覚えています。
進んだ先に小笹小屋という山小屋があり、小屋の脇には小川が流れていました。大峯奥駈道は水場が乏しいことでも有名で、地図によるとこの日の行程上もう一箇所水場がありましたが干上がっていたら大変。念のため、前日使用しほぼカラになっていた2Lのペットボトルと500mLのボトルを満タンにし、さらにカラの状態で持ってきていた2Lのプラティパスに半分くらい水を入れました。水があると安心ではありますが、おかげで重い!!ショルダーベルトが肩にグイグイ食い込むのを感じながら、阿弥陀ヶ森にある女人結界の門に到着。女人結界どころか男性にも一人も会いませんでしたが・・・。
この日一番ハードだったのは、ここから大普賢岳への登り!!下がり気味だったテンションに積んだ水の重さが効いて、かなりキツい登りだったという印象を覚えています。大普賢岳に至った時点で12時過ぎ。雲がどんどん出てきていて、天気がいや~な感じに。身体が飯を要求してきていたので、大普賢岳山頂で昼ごはんを食べました。
このあとも国見岳、七曜岳とアップダウンを繰り返し、ヒィヒィ言いながらこの日の目的地・行者還(”ぎょうじゃかん”と読むらしい)避難小屋に向かう途中、水場を発見。避難小屋はもうあと少しなので、半分くらい満たしていたプラティパスを満タンに。水合計4.5Lはなかなか堪えます。ようやく避難小屋に着いた時には乳酸溜まりまくりでさらにガスってきており人もおらず、気分はどんより。
冒頭にも書いた通り一日通して完全に一人の山というのは初めてで、心細さがハンパない。下山したい気分に満たされていきましたが、少なくとも八経ヶ岳には登りたいので、翌日の行程で八経ヶ岳を越えた後のエスケープルートを何度も確認しながら20時前に就寝。この時点ではあと3泊も乗り切れる自信はなく、心は半分以上下山に傾いていました。持ってきていた小説が宮部みゆきの模倣犯で、このチョイスもまずかったかもしれません・・・。
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