前回のブログに引き続き、11/6後編。新温泉町に移動する道中、至る所に鳥取砂丘への看板が出ており、新温泉町のあとに砂丘にも寄れるか?と、そんなことを頭に入れつつ新温泉町に向かいました。タイトルは其の二、と銘打っていますが、其の一は東北に移動する前に友人が出演する演劇を観るため尼崎に行った際の話なので、2ヶ月前の話です。※11/9編集※ このブログの内容には兵庫に加えて鳥取も含まれていることに後から気付き、タイトルを「山陰放浪記其の一」に改めました。
そもそも今回の旅で単独行に拘っているのは多分に加藤文太郎の影響を受けており、山に入った際なるべく速く歩くようにしているのも加藤文太郎にほんのわずかでも近づきたいという気持ちがあるからです。旅に出る前、無駄に船橋や北千住から柏に歩いたのもまた、登山家になる前の加藤文太郎がひたすらいろんなところを歩いていた、というのを読んだからでした。
新温泉町に着いてまず向かったのは「加藤文太郎記念図書館」。浜坂町出身の加藤文太郎の功績を称えて氏の名前を銘打った図書館を建てたということで、中には氏の遺品や資料が展示され、山岳資料や山岳・登山関連の蔵書は日本随一とのことです。
入って一階は普通の図書スペースになっており、二階に遺品や資料が展示されていました。まず目についたのは加藤文太郎が撮影したという山岳写真。単独で登山を行うため、登頂したという証拠を残す意味も含まれていたと思われる、ということですが、昭和初期の冬の北アルプスの山々も今と変わらない姿でそこにあったんだな、という当たり前のことを写真を眺めながら感慨深く思ったりしました。
そして次に目についたもの、これが一番グッと来たのですが、それは登山靴。実際にこの靴を履いて加藤文太郎が山を登っていたのか、と思うと心にくるものがあります。冒頭の写真も、この登山靴を別アングルで撮ったものです。
他にもストック、スキー、ピッケル、カメラ・飯盒、など、実際に使っていた装備を直接見ることができました。
そして極めつけが「単独行」の発刊に至ったという加藤文太郎の登山手帳!!
富裕層の人がガイドを連れて複数人で山に入るというのが当たり前だった時代に、自分のアイデアで拵えた装備で一人山に入っていった加藤文太郎のパイオニア精神には、本当に痺れるものがあります。今の自分はそこまでパイオニア精神にあふれることをしているのだろうか・・・旅に出たとはいえ、まだまだ破り切れていない殻は何層もあるし、なにかを開拓し切り拓いていくということはまだまだ全然できていないように思う。
装備類が展示してあるのと同じフロアに、近辺の加藤文太郎にまつわる場所の地図があり、そこには氏の墓所の場所も記されていました。
この地図をもとに墓所に向かったのですが、思ったより墓所の規模が広くどこに加藤文太郎の墓所があるのかが分からない!!墓所にいた地元の方に聞いてようやく分かりました。氏が眠る場所で掌を合わせて黙とうを捧げ、その場を静かに立ち去り、近辺を巡ってから記念図書館に戻る。図書館に掲示されていた雑誌の記事の中に「文太郎がよく登ったという標高245mの観音山」が紹介されており、町を巡っている最中「これじゃないか?」と思う山がありました。
せっかくなので試しに近くまで行ってみるか!ということで何も調べずにとりあえず近くに行ってみると、麓の寺の横に登山道らしき道を発見し、ちょうどそこを登り始めたおじさんに聞いてみると「ここから登れば山頂まで行ける」という。もしかしたらこの道を加藤文太郎も登ったのかもしれない、なんてことを思いながらどんどん登っていくと、山頂付近に立派なお堂が。
なんでも、このお堂の中には国指定の重要文化財・十一面観音菩薩立像が祀られているそうです。町ではそんなアピールが全くなく、唐突に現れたので個人的にはすごく驚きました。ここより先に通じる道がなさそうなので引き返そうとしていると、後ろから途中で追い抜いたおじさんが追いついてきて「山頂はもっと先にある」と言う。どこに道が・・・?と思ってついていってみると、普通に行ったら全く分からないところにさらに先に進める道がありました。そして山頂は新温泉町から海まで見渡せる展望地。
ここで加藤文太郎は何を思っていたのだろうか。そんなことを思いつつ、おじさんと雑談しながらしばし眺めを楽しみました。下山を始めると、「別の道がある」ということで行きとは別の道から山を下りることに。登りとは全然別の方向だったのですが、下りきったそこには・・・
釣り人!!そう、いきなり海でした。一人で来ていたら絶対わからなかった道です。
加藤文太郎はこの町で有名ですか、と聞いてみると、やはり有名だという。車に戻る道中別の方にも話しかけられたので同じ質問をしてみると、「登山ブームが訪れるまでは、どちらかというと町の人が語り継いでいた感じでした。こんな田舎町からもあんな偉人が出たんだぞ、と。本格的に有名になったのは登山ブームが訪れてからです」という話を聞けました。
個人的に驚いたのは、完全に海に面しており高い山が周りに全然ないこの町から、偉大な登山家が生まれた、ということ。浜坂に訪れた今、もう一度「孤高の人」や「単独行」、「単独行者(アラインゲンガー)」を読んでみたくなりました。「単独行」の中に記されていた、大好きな言葉を紹介しておきます:
単独行者よ、見解の相違せる人のいう事を気にかけるな。
もしもそれらが気にかかるなら単独行をやめよ。
何故なら君はすでに単独行を横目で見るようになっているから。
悪いと思いながら実行しているとすれば犯罪であり、良心の呵責を受けるだろうし、
山も単独行も酒や煙草になっているから。
良いと思ってやってこそ危険もなく、心配もなくますます進歩があるのだ。
弱い者は虐待され、ほろぼされて行くであろう。
強い者はますます強くなり、ますます栄えるであろう。
単独行者よ、強くなれ!
加藤文太郎ゆかりの地を堪能した後は、冒頭で書いたように鳥取砂丘へ。観音山に登った時点で少し天気が回復していたので、夕暮れの砂丘を期待して行きましたが、鳥取砂丘周辺は雲が分厚く夕日が沈む光景を拝むことはできませんでした。とはいえ、砂丘はなかなかの迫力で、写真では伝えづらいですが人が点のようでミニチュアのように見えました。
鳥取砂丘から車に戻った時点で17時過ぎ。翌日登る山を氷ノ山にするか大山にするか悩みに悩んで、このまま先に進んで大山まで行くことにしました。翌日、この選択肢が大正解だったと知ることになります。車を移動させ、道の駅・大山恵みの里へ。翌日に備えて20時就寝。後山から始まって浜坂を巡り、観音山に登り、さらに鳥取砂丘にも立ち寄るなど、この日は結果的に盛りだくさんな一日となりました。
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