Prefectural Peak Hunting 31: 氷ノ山

前回のブログに書いた通り、ブログを投稿し終えたあとは氷ノ山登山口のすぐ近くにある道の駅・ハチ北へ移動。さすが冬はスキー場になるエリアだけあって寒い!!翌日は曇り予報でしたが、せめて雨、もしくは山頂付近で雪が降らないことを祈って就寝。

※※※

翌11月10日。起床し朝食を摂ってすぐに出発、登山口・福定親水公園にて支度を済まし入山したのは7:37でした。姫路ナンバーの車が既に2台停まっていたので「既に何名か山に入っているのだな」と思いながらの出発でした。相変わらず柏ナンバーはアウェイです。天気は予報どおり曇りで、登山口に向かいながら車の中から見た氷ノ山頂上付近は雪が積もっているように見えました。とはいえ登山口周辺には雪の気配が一切なく、前日この辺も雨が降っていたのか地面が湿っぽかったと記憶しています。登り始めてすぐの辺りは滝が何本かあり観賞スポットも用意されていました。


確か布滝という滝。

滝を越えると「28曲がり」という名の延々と続く曲がり角を歩きながら徐々に標高を上げていきます。標高を上げると、徐々に地面が白くなっていきます。


だんだん茶色の部分が減っていきます。

川を越え、少し進むと地蔵堂というお堂があります。山と高原地図の解説書によると、ここには加藤文太郎が泊まったことがあるという。そもそも、氷ノ山は「加藤文太郎を育んだ山」としても有名で、今手元にある加藤文太郎著の「単独行」(電子書籍の青空文庫にて無料提供されています!)の中の氷ノ山に関するページを検索してみると、こんなような文が出てきます。

1928年3月
翌日午前八時頃私は氷ノ山越えへと向って出発しました。もちろん途中で引返す予定で弁当も持たず登りましたが、割合天候もよく山へ一つも登らぬのも残念だと思って、つい登ってしまいました。途中ブナの木も樹氷で綺麗に飾られていますし、ボサも殆ど雪の下なので気持よく歩けました。(中略)帰りは同じ路を引返す予定でしたが、東尾根が楽そうなのでまっすぐこれを下ることにしました。

1933年1月
川を渡って夏道通りに登り、八四〇メートルくらいの杉林の中にある地蔵堂に着いたのは、翌午前三時頃だった。だいたい今日の予定は、この堂でしばらく休み、すぐ出発して氷ノ山へ登り、引返して国境の尾根を北へ縦走し、一日で扇ノ山の手前にある三ッヶ谷一二三九・三メートルを越し、その山麓の菅原村に泊ることにしていた。しかしこの堂に着いた頃は降雪が激しく、天候も恢復の見込みがないので、すぐ出発することを見合せた。


これがその地蔵堂。この中には大きな仏像がありますが、この中にひとり冬山の中過ごすというのは相当寂しい。

今回俺が歩いたルートは、偶然上の1928年の記録と同じでした。地蔵堂を越え、標高をさらに上げると雪がどんどん深くなりました。そしてやはり既に人が入っていたようで、足跡があり、登りは踏み跡を利用させてもらいました。ありがとうございます!


雪上に残っていた足跡。辿らせて頂きました。


なんの看板か分かりません。

腐った雪ではなくふかふかの新雪で、ボフボフと歩くのは気持ちよかったです。今年2月に登った丹沢を思い出します。今改めて当時の記録を読んでみると、この旅で大活躍中のGeographica(iPhoneのGPSアプリ)はこのとき初投入したようです。


木の階段もこの通り。

さらに進めると、氷ノ山越えに辿り着きます。そこには避難小屋がありますが、特に疲れてもいなかったので休まずそのまま続行。先に進むとさらに雪が深くなります。霧氷が実に綺麗でしたが、風があるところは結構寒い。

銀色というより、モノクロの世界といった印象です。ここから山頂に向かう途中、降りてくるグループ(単独の女性1名と男女のペア)とすれ違いましたが、おそらく彼らが姫路ナンバーの車の主と思われます。氷ノ山越えから山頂まではさほど遠くなく、あっという間に到着。山頂は標識もコチコチの氷の世界でした。


書いてある文字がギリギリ読めるレベル。


少し雪を載せてみるとめちゃくちゃ寒そうに見えます。

上に書いた通り、下山に使ったのは東尾根。ここからは登ってくるグループ(単独の男性1名と4名くらいのグループ)とすれ違いました。最初のうちこそモノクロの世界でしたが、標高を下げると雪はなくなり雨のあとの山道に変わります。

林道をひたすら歩き車に戻りました。下の画像は今回のログですが、親水公園からぐるっと一周しました。

翌日から快晴予報だったので、ここから一気に四国へ。温泉に入りたかったので調べてみると、途中通過予定の倉敷市にある「蔵の湯」という温泉が時間的にもちょうどよさそうだったのでナビに入れてとりあえずそこに向かうことにしましたが、今思えばこの日宿泊予定だった香川県の道の駅をもう少し調べておくべきでした。

登山口から出発してすぐ、道沿いに炭鉱で昔使われていたという渋い電車が展示してあったので立ち寄り、さらに車を走らせると「日本一の絵馬、国の重要文化財」という大きな看板を見かけるもこちらはスルー。30分くらい走ってから眠気が襲ってきたのでコンビニで仮眠をとり、起きたとき「もう来ることもないかもしれないし、やっぱり見に行こう」と、なんとも効率が悪いのですが戻ることにしました。戻って見てみると、確かに巨大な絵馬がある神社で本堂も立派でした。


明延炭鉱で使われていたらしい渋い電車。
昭和27年から60年までの33年間、1円で人々を運んでいたので「一円電車」と呼ばれているそうです。


手前が日本一でかい(らしい)絵馬。ぶら下がっているのが通常サイズの絵馬です。

この神社、なぜか無人で、しかも参拝しようとしたら財布に小銭がない!しかたないので二礼二拍手一礼だけ済ませてその場を立ち去りましたが、賽銭を入れなかったことでバチが当たらないかと怯える。小心者です。後から調べたらそもそも賽銭は「願い事が叶いました、ありがとう」という感謝の願いを込めて入れるということで、願い事を叶えてもらうために入れるのではない、ということを知り、バチが当たることはないと分かりほっとする。

そんなこんなで予定より少し遅れ気味に進んでいくと、岡山市あたりで渋滞に巻き込まれる。神社の往復のせいだろうか、なんてことを思いつつなんとか蔵の湯に到着しましたが、そこでお風呂セットが車内にないことに気付く。思い当たるのは、鳥取で立ち寄った日帰り温泉「オーシャン」。電話してみると、やはりそこにありました。オーシャンまでは片道3時間もかかるので取りに行くのは厳しく、相談してみると着払いで郵送も可能とのこと。助かります!名古屋に送ってもらいました。

風呂に入り、そのまま瀬戸大橋へ。今回の旅で初の有料高速道路です。既に日が暮れており真暗で景色も何もありませんでしたが、渡った側の街の夜景は綺麗でした。瀬戸大橋を越えると、香川県。富士山から始まり北海道北アルプス東北近畿、離島(屋久島石垣島)、山陰、を経て、ついに旅も四国編に突入です。車を走らせて辿り着いた道の駅・しおのえのある塩江は、なんと温泉郷!自分が無知なだけかもしれませんが全く知らず、蔵の湯に入る必要はなかったと後悔。行き当たりばったりだとこんなこともあります。

翌日の香川県最高峰・竜王山登山に向けて、すぐに就寝。次回のブログから四国編に突入です。

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