未来の自分がハマるもの。

未来の自分がハマるものを、今から想像できるだろうか?

クライミングや登山、特撮、読書、パソコン、最近ではランニング、音楽ではhideやジャパハリネットなど、自分が面白いと感じるモノは多い。でも、それらは自分が気付いたときには既にそこに存在していて、当たり前だけど自分が気付くよりもずっと前からずっとそこにある。解散後のバンドを好きになる、なんてことはしょっちゅうある。そういう風に考えると、自分が気付いていないだけで、周りは面白いもので溢れ返っているということになる。こんなにも面白いものだらけの世界の中で、新しいことに挑戦していかないのは凄く惜しい。昔hideの追悼ライブに行ったとき、hideコスしている人たちを見て「あの人たちは一体!?」みたいな反応を示す人たちを見たときに「hideも熱いのに…もったいないなぁ」と感じたのをふと思い出す。

こう書きながらも、まさか自分がクライミングや登山を始めるとは全く想像もしていなかった。高校の時わずかな期間ロッククライミング部に所属していたり、小学生の頃はボーイスカウトで低山に登ったりしていたものの、その頃はむしろいやいややっていた面の方が強く、本当に人生何が起こるか分からない。高校の頃住んでいた家の結構近くにリードの壁がたくさんあるジムがあって、今思えば実に惜しいと感じると共に、やはり自分が今熱いと思うものは昔からすぐ側にあったし今も「未来の俺」が熱いと感じるものが自分の周りに存在していることになる。

これは同時に、もう一つのことも示唆している。未来の自分がハマるものに”今”出会ったとしても、場合によっては全く興味を示さずスルーしてしまうかもしれない、ということ。出会えばいいというものではなく、そのモノに出会うタイミングがまた重要なのではないか。

世界はこんなにも面白いものばかりで満ち溢れている。もっともっと、色んなことに挑戦していかないともったいない。前々から言っていることだけど、向かう先がある程度見えている(と思っている)という事は、自分の想像力の範疇にまだいるという事で、「真のピーク」は今の自分では想像すらできないような高い所にある。今日のブログで少し触れたhideも以前こう言っている:

どんな事だって起こりえるし、どんな事も起こらない、かもしれない。でも俺は、なんだって起こりえる方にノルぜ、、。今までだって、確証じみた事は誰も言ってなんてくれなかったんだ。せいぜいバーゲン予言書とゴシップのクソ記事位だろ?でも田舎の無口なデブガキだった俺が今は人前で口パクパクやってるって事が俺にとっては確証だ。なーんだって、起こりえるんだ、、、。俺は今なお、ドキドキしてるぜ。どんなドキドキが明日っから、あるんだ?、、ってな感じで。じゃなかったら、昨日までの日記で終わっちまうからな。

そう、こうやって色々書いたところで、行動が伴っていなければなんにもならない。自分自身が確証、自分の思うことは自分の人生で証明すればいい。

NEVER STOP EXPLORING!

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