昨日は、映画を見て夕食を食べ終わった後、部屋で「栄光の岩壁(上)」の残りを一気に読み終わりました。これで、今回のUK出張で読んだ本は「空白の五マイル」に次いで二冊目。読んだ本リストも更新しておきました。
先週は土曜日に働いたのでこちらの判断で月曜日(現地時間今日)を代休として休んでおりますが、ロンドン及び郊外は「ストーム・ケイティ」なる嵐が直撃しており天気が尋常じゃなく悪いので、朝食後は後編の「栄光の岩壁(下)」をホテルのロビーで読んでいました。
「栄光の岩壁」は、新田次郎の”山岳小説(長編)三部作”と呼ばれているうちの一作。他の二作品である「孤高の人」「銀嶺の人」は既に読み終わっており、本来この二作の間に入る「栄光の岩壁」を今読んでいるということになります。「銀嶺の人」のあとがきで、「孤高の人~栄光の岩壁~銀嶺の人、は、所謂”社会人登山”の黎明期から、一般化した後の時代までを時系列に並べて書いたもの」と書かれていたように記憶しており、実際時系列的に「栄光の岩壁」はちょうど他二作の間に入ります。戦時中~戦後の時代を生きながら山に没頭していく主人公の生き様や葛藤にはグサグサ刺さるものがあり、上巻ではこんな台詞が印象に残りました;
一生懸命勉強ができない大学へ行ってなんになるのだ。そんなことなら、大学より山へ行っているほうがましだ。岩壁に向ったあの真剣な気持、身体中の神経が音を立てて鳴るほど張りつめたあの瞬間がなつかしいと思った。 – 栄光の岩壁(上) p268
いいじゃあないか、生半可な生き方をするよりも、なんでもいい、徹底的に青春をかけることのできるものがあればそれでいいのだ。- 栄光の岩壁(上) p279
また、「栄光の岩壁」の主人公が「孤高の人」の主人公・加藤文太郎に心酔しているいるという設定や、加藤文太郎の著書「単独行」に少し触れられたりと、「孤高の人」の時代から連綿と続く社会人登山家の系譜をありありと描いています。個人的には、「孤高の人」で描かれる世界と実世界には若干設定的に異なる部分があり、「栄光の岩壁」は小説から地続きの世界なのか、それとも実世界から地続きなのか…と、マニアックな点を気にしていたのですが、後に加藤文太郎の著書「単独行」が出てきた事で、実世界から地続きの世界だと勝手に思っています(「孤高の人」と「単独行」に出てくる人名が異なるため)。上巻の最後でヨーロッパアルプスに心惹かれた主人公が下巻でどうなっていくのか…実に楽しみです。
そんな感じで午前中を過ごしていたところ、見る間に雲が流れていって、太陽の光が差し込んできました。午前11:30の時点ではすっかり晴れで、「これは出掛けねば」と、行くところは一ヶ所しかありませんが例の所に向かう事に。以前Grays駅から余裕で歩けたので、今回も歩く事に。相変わらず鬼汚い街を眺めながら軽く早歩きで駅まで向かいました。
ついに明日帰国。時差ボケをさっさと治して食生活を元に戻し、早い所元の生活に戻りたいな、と思う。
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