福島市のスターバックスにいます。前回のブログに引き続き、南アルプス編・二日目です。もちろん初日と同じ、I氏、ちゃんM、俺というメンバーでお送りします。
登山二日目:8月26日(月)
無事3人とも4時台に起床。幸い(?)なことに3人とも二日酔いもなく、さらに前日の疲れもほぼほぼ解消されていました。北沢峠は人気の登山口にしては珍しく電波が通っておらず、意図せずデジタルデトックスになったことが体調の回復に効いたのかもしれません(エセ科学)。
甲斐駒ヶ岳はコースタイムこそ前日の仙丈ヶ岳よりもやや短いものの、この日は13時10分の北沢峠発のバスに間に合わせるように下山するというミッションもあったのでなるべく早く出発する予定でいました。前日の疲れがあることに加えて、下山後はテントの撤収などの作業もあり時間との勝負。結果的にバスにぎりぎり間に合う時刻の下山となったあたり、早く出て正解だったように思う。
朝食を食べて、水の補給など出発の準備を済ませたら早々に出発です。ログを見たところ登山開始時刻は午前4時55分くらいだったようです。甲斐駒ヶ岳は大きく分けて仙水峠経由の右回りと、双児山経由の左回りがあり、このときはあまり考えずに右回りにしました。双児山からの下山を振り返ると右回りにしておいて正解だったと思います。登り始めてから樹林帯を40分程度進んだところで仙水小屋に到着。コースタイムは30分なので少し遅いペースです。やはり前日の疲れが残っていたのかもしれません。ちゃんMは「私のことは50代女性テント泊装備の人だと思ってください」を連呼していました。仙水小屋は森の中の小屋というイメージで、おそらく夜は真っ暗ですがテント泊している人がいました。夜絶対怖い。
そこから少し進むと、突然視界が開けて岩が高く積み重なった異様な風景に出会います。ルート自体はハイマツの中を進みます。
そこから少し進んだところで、背後に前日登ったばかりの仙丈ヶ岳が姿を現します。
仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳はちょうど対になるように屹立していて面白いです。そして5時50分くらいに正面の仙水峠から太陽が出現しました。太陽を正面に歩くことになったので超眩しかった記憶があります。
このあたりは風景がほとんど同じなのでどこが登山道なのやらルーファイが難しいです。
仙水峠の少し手前に差し掛かったところで、甲斐駒ヶ岳の脇に屹立する摩利支天が姿を現しました。
そしてほぼ6時ジャストに仙水峠に到着します。ようやくコースタイムに追いついた感じです。あとから地図を見て気づいたことですが、仙水峠を東に進むと早川尾根に通じており鳳凰三山にたどり着きます。思えば重要な分岐点だったわけですが、このときは目の前に現れた甲斐駒ヶ岳の山容を拝むことに夢中でした。
ようやく姿を現した甲斐駒ヶ岳の全体。手前の摩利支天が目立ちますが左奥が山頂です。まだ先は長い。前日登った仙丈ヶ岳側から見た構図で場所を説明すると:
現在地は仙水峠。まず向かうのは駒津峰で、そこから甲斐駒ヶ岳の山頂を目指します。蛇足ですがスタート地点は長衛小屋(テント場)で、下山時は駒津峰から双児山経由で長衛小屋に戻ってきました。
写真のとおり仙水峠から先はきつい登りが続きます。かなりの斜度です。最初は樹林帯を進み、途中で視界が開けてきます。摩利支天を覆いつくすように雲が上がってきており、この時点では山頂での展望が期待できるか微妙なところでした。
樹林帯を抜けると、南アルプスの山々が一望できるようになります。
駒津峰山頂手前にて、二人組の女性登山者が微妙にコースを間違えており、つられてついて行った我々に「すみません!」と元気よく謝ってくる。おそらく40代くらいの、トレランのような服装のスポーティなお姉さま(?)方でした。この二人とは駒津峰山頂、さらに甲斐駒ヶ岳山頂でも再び相見えることになります。そして7時15分くらいに駒津峰の山頂到着。コースタイムより少し速いペースです。ちゃんMスロースターター説。
上の標識の奥に見えているのは北アルプスの山々です。ここで再びI氏の一眼レフが威力を発揮しました。
まずは全体像。右手前に見えている大きな山は鋸岳です。
ズームイン。上の写真の一番左端、中央アルプス。写真中央少し右側の一番高い山が木曽駒ヶ岳。一昨年一人で歩いたのを思い出します。
中央アルプスから少し右にずれて、こちらは後日同じ3人で登ることになる御嶽山。そして…
岩肌の様子までばっちりです。一番左端はかの有名なジャンダルムとロバの耳。その横にどっしりと構えるのが奥穂高岳。奥穂高岳~西穂高岳間はまだ歩いたことがないのでいつか挑戦したい。奥穂高岳から写真中央少し左の北穂高岳は過去一度、北穂高岳から一気に切れ込む大キレット経由槍ヶ岳までの道は過去二度歩いたことがあります。初投入でここまで撮れてしまうとは一眼レフ恐るべし。次は星空に期待。
長々と尺を取り中央や北アルプスの写真ばかり並べましたが、これから向かうのは甲斐駒ヶ岳、南アルプスです。遠くの山より目の前の山。甲斐駒ヶ岳もまた大迫力です。
雲が迫ってきていましたがこの時間帯はかろうじて山全体を拝むことができました。少し標高を下げ、しばらくのあいだ上の写真の鋭い尾根沿いを山頂に向けて登っていきます。
いわゆる岩稜が続き、岩稜初見のちゃんMが苦戦します。特に高さ7~8mくらいありそうな壁面を降りる箇所に苦戦していたような印象です。歩き慣れない形状の山道は前を歩く人のルートを辿ると歩きやすいのですが、ちゃんMの目の前には人影がありません。I氏は遥か彼方。ところどころ現れた難所では順番を入れ替わりちゃんMに先行して歩きました。そんな岩稜を超えると分岐に突き当たります。
上の写真で見えている右方向への『甲斐駒ヶ岳直登ルート』は地図で破線ルートになっている危険箇所の多い道。さすがにちゃんMについてこいと言うのは過酷過ぎるので、画面手前方向『甲斐駒ヶ岳トラバースルート(迂回ルート)』に進みます。ちょうどこの分岐点に辿り着いたおじさん二人組が迷わず直登コースに進んでいったのが印象的でした。迂回ルートとはいえ、上を見ると圧倒されます。
ここからはしばらくトラバース気味の道を進みます。
そして登山道はトラバースから歩くのに苦労する砂礫の斜面に切り替わります。しかも斜度が急できつい。
とにかく歩きづらい!過去にもどこかでこんな道を歩いたような記憶があります。道が非常に分かりづらく、ところどころに赤い杭のようなものが打ち込んでありそれを目印に先へと進みます。このあたりでI氏がラストスパートで飛ばし始める。I氏、ちゃんM、俺、という順番を崩してI氏のあとに俺が続きます。とはいえ後ろにも気を配りつつちゃんMが視界に入る距離感で進みます。先に登頂していたI氏にいつの間にか激写されていた俺とちゃんMです。
I氏に続き俺も登頂!残すところちゃんMのみとなりました。そして…
山頂に現れるちゃんM。時刻は8時半くらい。コースタイム4時間10分に対して3時間40分程度で到着。ちゃんMお疲れ様。急登あり岩稜あり砂礫ありの実にバラエティ豊かな登山道でした。山頂には剣が置いてあり、登頂した人は皆一様に剣を持って写真撮影していました。
無事3人で登頂。前日に引き続き記念撮影です。
ぎりぎり見えていた北岳をバックに、3人。撮ってくださったのは前日比較的遅い時間にテント場にやってきたお姉さんでした。おそらくソロハイカーだったように思います。女性のテント泊ソロハイカーは珍しいので記憶に残っていました。
昼食の用意をして3人でワイワイやっていたところ、駒津峰手前にいたお姉さま方が現れI氏に何か話している。なんでも鳥がいるので一眼レフで撮ったらどうかという話だったようで、さっそくI氏が馳せ参じます。
花に続き鳥!この順番だと次は風を撮って最後に月ですかね。この鳥は『イワヒバリ』というらしく、海抜2,400m以上の標高の高い土地の岩場などで繁殖を行い秋冬は低い山地に移動するらしい。高山で見かける野鳥の代表らしいのですが今まで一度も気にしたことがありませんでした。夏にイワヒバリを見かけたということは少なくとも2,400m以上の高山に足を運んだ証になりますね。ポケモンっぽい。
談笑していたらいつの間にか1時間経っており、時刻は9時半。下山のコースタイムは3時間なのでコースタイムどおりでもバスの時刻にぎりぎりの時間です。早速下山開始です。
どんどん標高を下げます。上の写真の大きな岩は『山と食欲と私』南アルプス回でも描かれていたと記憶しています。
駒津峰に戻った時点で10時半。少しコースタイムより遅めです。初の岩稜はなかなか難しいものです。これはまずい、と、休憩もそこそこにすぐに出発。I氏、俺、ちゃんMの順でなるべく速いペースで進んでいきます。I氏が先行して下山した場合できる限りの撤収をしてもらう予定でした。あまり詳しく地形を読み込んでおらずコースタイムを見る限りは下りだけだろうと思っていたこの下山ですが、かなり高度を下げた時点でその認識が誤っていたことに気づかされました。
絶望!登りです。双児山(ふたごやま)です。これを超えない限りは帰れないのでもちろん突き進みます。ちゃんMが悲鳴を上げます。
そんな双児山への登りの最中に追い抜いたおじさんがいたのですが、このおじさんのおかげ(?)で我々はバスに間に合うことになります。上の写真から双児山の山頂までは25分くらいでした。
いったんここで全員集合しほんの少しだけ休憩、即出発。ここからは下りのみです。定期的に後ろを振り返りながら下山していると、双児山への登りの際に追い抜いたおじさんがちゃんMのすぐ後ろを歩いている。追い抜かれそうだなと思いきや、絶妙な速度でちゃんM追い抜かれない。結局そのまま長い下山が終了し、北沢峠にゴール。北沢峠からテント場までは林道を徒歩10分弱くらいです。ちゃんMも無事下山。
早足でテント場に向かい、即撤収。I氏はすでにほぼ撤収が完了しており、主に俺の荷物が残っていました。バスの時刻がかなり迫っており、席が確保できないとまずいので二人にバス停へ先行してもらいあとから追いかけることにしました。急いで撤収し、下山したばかりで疲弊しきった身体に鞭打って早足でバス停へ。なんとかぎりぎり間に合いました。これを逃すと次のバスは2時間後となり帰宅時間に影響するので間に合ってやれやれです。
あとからちゃんMに下山時の話を聞いてみると、真後ろにいたおじさんに話しかけられたくないのでおじさんの鈴の音が近づいてくるとペースを上げたのだとか。そのペースアップがなかったらバスに間に合っていなかったかもしれないので、おじさんに感謝(?)です。
このときのログ。日々野鮎美も歩いた道です。次来ることがあれば鳳凰三山から繋げたり鋸岳へ繋げたりしてみたい。
駐車場に戻り、まずは荷解きです。今思えば、8月上旬の新潟の山々の暑かったことに比べるとこの二日間の山行は暑かった印象がまったくありません。やはり標高が1,000mも違うとまったくの別世界のようです。とはいえ駐車場があるのは真夏の地上。戻ってきた駐車場が「暑い!!」と感じたことは記憶に残っています。
荷解きが終わったら向かうのはもちろん温泉。いろいろと調べてみたところ、早太郎温泉・こまくさの湯という温泉が評判がよさそうで比較的近いのでそこに向かうことにしました。道中立ち寄ったGSでは相変わらず長野ナンバーの俺の車を見て「長野のどこから来られたんですか?」と訊かれる。両神山でも勘違いされたのを思い出します。千葉から来ていてすみません…。
こまくさの湯があるのは駒ヶ根。近づくにつれ(どうも見覚えがあるぞ…?)と、だんだん既視感を覚え始め、それは徐々に既視感ではなく記憶として呼び覚まされていきました。そう、まさしくこまくさの湯に2017年、空木岳からの下山後に立ち寄っていたのです。近くの観光センターで割引券をもらえるという記憶も呼び出されたのでもちろん入手し、割引で入浴。以前は気づきませんでしたが(もしくは以前はなかった)、露天風呂の岩の形状が登ったばかりの甲斐駒ヶ岳などの山々にかたどられているのが印象に残っています。
温泉周りはおそらく木曽駒ヶ岳から降りてきたのであろう人たちでごった返していました。そのまま温泉で食事を摂ろうとして食券を購入したところ、僅差で20人のグループに先に食堂に入られてしまう。20人分の食事が出てから我々、ということではたまらないのでほかで食事を摂るべく食券を返金。この辺はソースカツ丼が有名らしく、すぐ近くの評判の良い食事処に移動しました。ヒレ丼ざるセットをいただく。
とにかくソースカツ丼が旨い!疲れた身体に染み渡ります。ソースとかカツりょくとか。
明治亭(食べログ)
https://tabelog.com/nagano/A2006/A200602/20000038/
ただ、蕎麦は最近同じメンバーで行った開田高原の蕎麦屋に軍配が上がります。それにしても、全国何箇所でソースカツ丼を名物としているのだろうか。自分が行った場所だけでも:
がそれぞれソースカツ丼を名物にしていました。Wi-Fiが飛んでいる店内で一部山行時の写真を共有したら東京方面へ向けて出発。中央道に乗り、諏訪湖のSAでメガシャキを購入して残りの運転分のエネルギーを蓄え一気に埼玉へ。まずはちゃんM、そのあとI氏を降ろし、自分自身は22時半くらいに帰宅。こうして、新たなる仲間を迎え入れた初南アルプスの旅は幕を閉じたのでした。
この旅で登った仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳を加えることで、登った百名山は70座に到達しました。この二日間は南アルプスの山々を歩きながら仕事上の自分の進退を漠然と考えており、ひとつ自分の中で決断を下したのもまたこの旅の最中でした。新たなる仲間、初南アルプス、百名山70座、自身の進退…色々と思い出に残る山旅です。
後日談
この旅から2週間くらい経過した9月7日。ちゃんMから「山に行きたい」という連絡が俺とI氏の元に届き、新たなる山旅の計画が始動します。さまざまな会話の結果、10月5日(土)夜発・10月6日(日)御嶽山日帰り登山という計画がまとまり実行することになります。
9月はというと、9月22日~23日にI氏と計画していたテント泊登山は悪天候で中止、同じくI氏と計画していた9月29日の日帰り登山も悪天候で中止。今年は天気的に呪われているとしか言いようがありません。悪天候が続いた9月の週末ですが唯一9月30日に百名山屈指のロングルートである平ヶ岳に単独行で登っており、次回の山行記録は平ヶ岳となりそうです。
夏山登山記録の完成まであと少し。
続く→
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