前回に引き続き、新潟長野・山の旅二日目の記録です。
旅二日目:8月12日(月)
朝4時起床。前夜早く寝たおかげであまり苦もなく目が覚めました。いつの間にか車がかなり増えており、ちょうど隣の車の三人組も出発の準備をしているところでした。「装備こんなもんでいっか」というような会話をしておりあまりにも適当なので(なめすぎだろ…!)と内心思いながら我々も準備を進め、4時45分くらいに登山開始です。燕温泉の温泉街を抜けると登山口があります。
前日の教訓(?)を活かして相当早く出たおかげで全然暑くありません。10分弱歩いた時点で目標の妙高山が見えてきたのですが…
距離こそ前日の越後駒ほどではありませんが、どうみても越後駒よりも傾斜がきつい。これは最後のほうバテそうな相手だという予感がしていました。当分の間舗装された道が続きます。道中夜が明け始めました。
雲がなくこの日も登山日和です。少し歩くと『称明滝・光明滝』という2段の滝が見えてきます。
道は一旦滝にかなり近づいてから左に逸れていくのですが、誤って滝方向に向かい戻ってくる赤い服の男性登山者がいました。この人は翌日の火打山でも見かけることになります。妙高山ではところどころ色鮮やかな花も咲いていました。
そのまま先に進み、5時40分くらいにちょっとした渡渉箇所にさしかかります。その沢というか沢底というか、色がすごいんです。
硫黄的なものが原因なのだろうか。そのまま視界のあまりよくない沢沿いを進み、6時少し前に開けた場所に出たので一旦休憩。沢沿いの道は特に厳しい道ではなく、I氏は好調でしたが俺は妙に疲れました。ちょうどこの地点で沢沿いから左手の尾根方面に方向を変えますが、後ろから追いついてきたハイペースなお姉さんが道を間違えそうになるというハプニングも。
さて、舵を尾根方向に切ったあたりから『胸突八丁』と呼ばれる急坂が始まります。これが思った以上にしんどく、I氏に道を譲りスローペースで進みました。スローペースと書きつつもログを見ると胸突八丁の突破はコースタイムの半分以下のタイムなのでI氏が速過ぎるという説もあるのですが…。急坂の登山道から一変した開けた天狗堂で少し休憩し、そのま山頂への道を進みます。
大きな池や風穴を通り過ぎながら進んでいくと、あたりがだんだんガスに覆われ始める。テンションだだ下がりです。この時間に下ってくる外国人の家族(?)がおり、「アトスコシデスヨ」と声をかけてきたので(よっしゃ頑張るぞ)と元気を注入してペースを上げたのに
声をかけられた地点から先には鎖場が待ち受けていました。
妙義山のトラウマを持つI氏の腰が引けていたので攻守(?)交代です。思ったよりも長い鎖場、岩場を通過していると、だんだんガスが晴れていくではありませんか。
場所は山頂直下。いつまたガスに覆われるかわからないので一気にペースを上げます。
そしてついに妙高山のふたつあるピークのうちのひとつ、南峰に到着します。
山頂はあっちか!なかなかゴールに辿り着けない。じらされます。急かされるように休憩もせず進みましたが、あとからログなど資料を見ると標高はこちらのほうが高いようで、三角点があるのが北峰ということみたいです。
ログ抜粋。Gと書いてあるのが北峰、山のマークがあるのが南峰です。最高地点を山頂とする場合南峰の山頂=妙高山の山頂ということになるようです。そんな北峰までは5分もかかりません。登山開始から3時間弱で山頂に到着しました。コースタイムは4時間40分なのでx0.65くらいのペースです。自分の中ではかなりスローペースな印象だったのですが十分速かったようです。
到着してすぐは北西にあたる火打山方面のみ晴れていました。
火打山をバックに、俺です。その火打山にまさか翌日登ることになるとはこのときは考えてもいませんでした。そして妙高山からは北アルプスが思ったよりもかなり近く、特に後立山連峰がばっちり見えていました。
遠方左奥のほうに見えているのは白馬岳。写真よりも肉眼のほうが近くに見えていました。そうこうしている間に南側も晴れてきました。
かなりうっすらとではありますが富士山も見えていました。
山頂にはかなり多くの人がおり、登山道にTシャツを落としたと取りにいくおじいちゃんなどいろんな光景が見られました。その中で、火打山から縦走してきたという関西弁の夫婦と話す機会があり、なんでも黒沢池ヒュッテは質素でビールがぬるいのだとか。我々は(この時点では)翌日雨飾山に登る予定をしていると伝えると「2年前に登った」ということでいろいろと教えてくださり、さらに高妻山にも登る予定だと話したところ「あそこに見える山が高妻山だ」と目の前の山を指差して教えてくださったりしました。
昼食を摂ったり談笑したりと1時間くらい山頂で過ごし、下山開始。行きはすぐに通過した南峰も実は景色が抜群に良いことに気付き何枚かパシャリ。
下山は(当たり前ですが)登りよりも楽で一気に下っていきました。妙に外人が多いのは何故だったのだろうか。ほとんど下山が終わった地点に赤倉温泉の源湯が飲めるようになっている箇所があり、残り少しではありましたが温泉のパワーを補給しました。
あとは舗装された道を車まで戻るだけなのですが、道中上裸で道に横たわる謎の男がいる。日焼けしたいのか…?
そんな野郎を横目にどんどん下っていくと、「アトスコシデスヨ」と声をかけてきた外人の家族が店の脇でかき氷を食べている。あいつらは!!と二人顔を見合わせつつ何も告げずに通り過ぎた大人な我々です。
そんな外人親子を通り過ぎ、燕温泉入り口のホテル花文(はなぶん)に差し掛かったところでそのホテルの方なのか近所の方なのかおっちゃんが話しかけてくる。旅の内容を説明すると「ピークハントもいいけどその土地も楽しんでほしい」とか言い出す。余計なお世話じゃ!!…と思いながらも何も言わずに通り過ぎた大人な我々です。
紆余曲折ありつつようやく車に辿り着き、まずは車の多さに驚愕。駐車場からあふれかえっていました。荷解きをしてから日帰り温泉を調べてみると結局余計なお世話なおっちゃんのいたホテル花文にすることに。風呂の用意を持ってホテルに戻り受付を済ませて湯船に向かってみると、受付開始時刻を過ぎているのに何故か湯が沸いていない(掃除が終わっていない)。ベトナム人風の従業員に「マダデス」と言われ渋々受付に預けた貴重品を取りにいくと、明らかに80歳は優に超えているであろうおばあちゃんから貴重品を手渡される。後継者問題よ。時間を置いて湯船を覗いてみると少したまってきていたので、入りながらたまるのを待つことにしました。そんな湯は
鹿の湯を髣髴とさせる熱さです。もしや生殖能力に影響が…!?なんてことを考えていたのか考えていないのか、早々に風呂を出てロビーでその日の午後から翌日にかけての計画を立てることにしました。
関西から来た夫婦に語ったように、この時点では翌日は雨飾山に行く予定だったのですがどうも翌日の雨飾山の天気があまり芳しくない。いろいろ調べてみるとなんと火打山のみ快晴予報。(下山しなくてもよかったのでは…?)という考えをシャットアウトし、翌日の火打山に向けて行動開始です。
火打山はそもそも妙高山からつなげて縦走できるくらいの距離。よって登山口もすぐ近くにあり、午後に入ったか入っていないかくらいの時間だったこの時点で火打山の登山口に移動するのは早すぎました。とはいえこの辺でやりたいことも特になく、どうしたものかと検討した結果長野のモンベルご当地Tシャツを求めて長野市まで南下することとなりました。
長野市のモンベルは以前住んでいた場所からすぐ近く。実に懐かしい光景でした。I氏は無事Tシャツを手に入れ、俺は前々から気になっていた速乾下着(パンツ)を購入。この速乾下着が実に優れていることをこの旅で知り、以降の山では必需品となります。この時点でまだ14時15分。その後スーパーで食材を買い込み、やよい軒でがっつり食事。エネルギーを蓄えます。この時点ではどこに泊まるか未定でしたが、地図を見たりネットで見たりすると、どうやら火打山登山の前泊は笹ヶ峰キャンプ場なるキャンプ施設で宿泊するのが定番のよう。さすがにキャンプ場の駐車場に車中泊するわけにはいかないので、この日はキャンプ場でテント泊することとなりました。
キャンプ場に電話してみるとまだ余裕があるものの早めに来た方がいいとのことでした。コインランドリーに寄っていくか迷いましたが、キャンプ場の空き状況や受付時間を考慮してそのまま向かうことにしました。途中通過した野尻湖は大学などの合宿なのかランナーだらけで、道路にランナー注意とまで書かれていたあたりランニング界では有名な場所なのかもしれません。
無事笹ヶ峰キャンプ場に到着し、受付を済ませたら幕営です。今までわけのわからない場所でばかり使用してきたI氏のテントをついに正規使用です。そんなI氏が幕営しながらスマホで何か調べているので、聞いてみるとペグの使用方法がわからないという。これでようやくコンクリート以外の場所にも幕営できるようになりました。
買い込んだ食材を食べながらのんびりと過ごしていると、左足の足首辺りがチクチクしだす。見てみると謎の小虫が5匹くらい噛んでいるではないか!!つぶすと血が出てきたので時すでに遅し。このあと1週間くらい左足首がパンパンに腫れて大変なことになりますが、それはまたあとの話。
周りには我々のような登山者はあまり見当たらず、家族連ればかり。子供がやかましいわキャンプ煙いわと、あまり快適とはいえない環境ではありましたが虫に刺されたことも含め今となっては夏のいい思い出です。
21時就寝。翌日は4時半起床予定です。
旅はまだまだ続く→
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