49座目の百名山: 木曽駒ヶ岳

1ヶ月半ぶりくらいの更新です。書くことはあったのですが、机に座って綴る気分にどうしてもなれず、いつの間にか10月になっていました。9月は身内に不幸があり、中旬から下旬にかけては密度の異様に濃い毎日を過ごし、後半になってようやく日常生活に戻れたような戻れていないような感じでした。何度か計画するたびに何かが重なって断念せざるを得なかった木曽駒ヶ岳~空木岳の縦走をようやく実行できたのは、そんな9月後半の日曜、月曜の2日間でした。

慌しく名古屋から関東に戻ってきたのが9月23日(金)の朝。朝一の新幹線で戻ってきてその足で会社に向かい、仕事をこなして帰宅したその日の夜。今勤めている会社は火曜日から土曜日までが勤務日で、土曜日が祝日の場合火曜から金曜までの勤務になります。この週は土曜日が秋分の日で祝日。翌土曜から月曜まで3連休だったのでした。週末の長野方面の天気予報は多少曇りが入りつつも概ね快晴で、これはもう山に行くしかない!ということで、突発的でしたが所属している山岳部に山行計画書を提出し、翌日山に向けて出発することにしたのでした。

9月24日(土)。冒頭に書いたように、このとき向かったのは木曽駒ヶ岳~空木岳を有する中央アルプス。このときの計画では高速を駒ヶ根インターで降り、菅の台バスセンターまで行きそこで車中泊。翌日曜から月曜にかけて1泊2日の山旅をする、という計画でした。土曜日は最終的に菅の台バスセンターに辿り着いていればよいのでそこまで急ぎではなく、食材を買ったりのんびりしていたらいつの間にか昼を過ぎており、気持ちが焦りだした14時あたりに出発。17時台には菅の台バスセンターに到着していたと記憶しています。出発前に買っておいた棒ラーメンを車の外で作って食べ、翌日の支度を済ませて20時くらいには就寝。寝る前にロープウェイの駅行きのバスの始発の時刻を見てみたところ6時台だったので、5時くらいに起きる予定でいました。

慌しい9月中旬からの流れに疲れが溜まっていたのか、車の中で爆睡。ふと目が覚めると朝4時台で、もう一寝入りしようか・・・と思ったら外がやけに騒がしい。赤い警棒?みたいな物が揺れているのも見えたので事件でもあったのかと思い車外に出てみると、そこにはバスを待つ長蛇の列!!車内から見えた赤い警棒は、長蛇の列を整理している係りのおじさんが振っている警棒だったのでした。始発6時台だったのにこの展開は一体!?と、朝ごはんに買っておいたパンをぱぱっと食べ、身支度を整えてバス+ロープウェイのチケットを買いに行き(ここも並ぶ)、長蛇の列の最後尾に。バスの待ち時間はたしか30分くらいで、6時前にはバスに乗れたように記憶しています。紅葉シーズンの土日は臨時で早朝からバスが出ているそうで、それを知っている人が怒涛のように訪れていたのでした。初中央アルプス、紅葉シーズンの人気度合いを測り損ねていました。満員のバスでつづら折りの山道をどんどん登っていき、ロープウェイの駅に到着。ここも既に列が出来ていましたがそんなに待つことはなく、6時半くらいに登山口がある千畳敷のロープウェイ駅に到着したと記憶しています。

上高地、室堂も登山口としては観光地化しており人が多いと感じていましたが、千畳敷も負けず劣らず人気度が凄い。ごった返している千畳敷の駅で登山届けを出し、靴紐を縛りなおしたりなど登山の支度を整えて駅舎を出たのは7時ちょうど。計画では千畳敷を出発するのは8時過ぎを予定していたので、1時間前倒しのスタートです。この日は予報が曇りのち晴れで、早朝の菅の台バスセンターは曇っており千畳敷もまだ快晴からは程遠い曇り空でした。

千畳敷からみた南ア方面
千畳敷から見た南ア方面。

晴れていると南アルプスが一望できるこの展望台も、この日はこんな様子。街の上にも山の上にも雲がかかっていました。このときは考えもしなかったのですが、ここからの眺めは翌週母親と堪能することになります。駅舎兼ホテルの建物をぐるっと裏側にまわると、そこにはよくガイドブックなどで見る千畳敷の風景が広がっていました。

宝剣岳が印象的。

尖った宝剣岳が印象的な千畳敷の景色ですが、この時点ではまだ曇っておりどちらかというと禍々しい感じでした。少しだけ青空が覗き始めており、このまま晴れることを祈りながら登山スタート。千畳敷から木曽駒ヶ岳へはまず最初の登りがきついことで有名ですが、コースタイム1時間のところを30分強で分岐点である乗越浄土に到着。幸先良いスタートです。

最初の分岐、乗越浄土。
ここから木曽駒ヶ岳まではゆるやかなアップダウンを繰り返します。


振り返ると駅舎があんなに小さく。

乗越浄土からすぐ近くにある宝剣山荘の外で少しだけ休憩し、すぐに出発。木曽駒ヶ岳への中間点にある中岳へのアプローチ地点あたりで振り返ってみると、宝剣岳の容姿が目の前に。

宝剣岳。なぜあんな形状になったのか、とにかく尖ってて異様な形の山です。そのまま歩みを進めていくと、分刻みでどんどん天気が良くなってゆく。中岳山頂に着いた時点ですでに絶好調の快晴で、目の前には序盤の目標地点である木曽駒ヶ岳と、奥には御嶽山がばーん!と聳え立っていました。

御嶽山と木曽駒ヶ岳

天気が良くなるとやる気もさらに上がり、あっという間に木曽駒ヶ岳の山頂です。ロープウェイの駅からこんなに近いのに、最高の絶景!!一方向を見れば北アルプスの稜線、別の方向を見れば南アルプスの稜線がくっきりと見えていました。

北アルプスの稜線

まず北アルプス。乗鞍岳や槍、奥穂高は一発で分かりましたが他の山々の位置関係がいまいち分からず、後から調べてみると左は笠ヶ岳から右は大天井、鹿島槍、白馬あたりまで見えていたようです。笠ヶ岳以外は行っているのに、まだ一発で分かるほどではないあたり、まだまだです。お次は南アルプス。

南アルプスの稜線

南アルプスはそもそもまだ行ったことがないので見て一発で分かるというのは難しいのですが、千畳敷にあったパノラマ図のおかげで甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、あたりは判別できました。

※2020.01.16追加

景色をひとしきり堪能したら、一旦来た道を宝剣山荘まで戻ります。この日は空木岳までのルートの半分くらいの地点にある檜尾避難小屋で一泊する予定だったので、木曽駒ヶ岳に登頂したとはいえまだまだ行程の序盤も序盤。むしろ本番はここからです。

宝剣山荘を通り過ぎたら、さっそく序盤の核心部・宝剣岳の通過です。核心部、とは書きましたが非常に大勢の方が登っており、山頂に20人弱くらいしか滞在できない(もっと少ない?)こともあり大渋滞が発生していました。そこにいた人たちと話したりしながら順番を待ち、無事宝剣岳登頂。あれだけ人がいてゆっくりの移動となると、宝剣山荘側からの登頂はなんら危険なところはないのではないかと感じました。山頂の一番高い地点は非常に狭く、ここに立つのは相当勇気がいるようで、周りの人たちが何人も断念しているのを見て「これは!」と思い登ってみることにしました。なんとか立てましたが、おそろしく怖い!!普通に足が震えていました。立ったところを撮ってもらう余裕がなかったので、立った場所の写真だけ載せておきます。

この上に立ちました
この上に立ったのですが、おそろしく怖い!!

宝剣岳まで来たらそこから千畳敷まで戻る人のほうが多いようで、宝剣岳の先に進む人は自分以外に殆ど居ませんでした。

宝剣岳の先

この写真は山頂付近から空木岳方面を撮った写真です。分岐があり、右手にどっしりと構えている山は三ノ沢岳で、今回は右ではなく左方向、空木岳に向かいます。空木岳はこの写真でいうと一番左端に写っている山で、まだまだ先は長い・・・。

ここから20分くらい岩場をひたすら下り、ふと振り返ってみると「どこをどう降りてきたんだ」と思うような道?でした。

道はどこに、宝剣岳
突き抜けるような青空。

木曽駒ヶ岳から宝剣岳を経て空木岳まで行く、というのは今年の登山の中で必ず達成しようと思っていた計画でした。昨年末、宝剣岳にて遭難した知人の慰霊登山をするためです。宝剣岳山頂を通過し空木岳方面に向かうと、西側斜面が非常に急な箇所があり、おそらくその周辺であっただろうと思い、立ち止まり手を合わせる。あの日彼の計画ではどこまで行く予定だったのか、季節は違いますが検証しながら歩く予定でした。

このときの山行では念のためヘルメットを持参しておりましたが、どの辺からつけようかと逡巡しているうちに危険箇所の核心部辺りに来ていたようで、反対方向から来たおじさんから「せっかく持ってるならつけないと!」と声をかけられる。「どの辺からつけようかと考えていたのですが・・・」と返すと、「ここだよ!」とのこと。いつの間にか核心部に差し掛かっていたようです。とはいえ、思っていたよりもすんなりと通過できた印象でした。北アルプスの不帰嶮のほうが緊張したと思います。が、実は今回の山行の核心部は宝剣岳周辺ではなく、翌日通過することになる縦走路上にあることを、この時点ではまだ知らずにいるのでした。

ヘルメットを装着し無事宝剣岳を通過すると、あとは気持ちの良い縦走路をひたすら避難小屋に向けて歩きます。こんな景色が広がっており、快晴ということもあり思わず笑顔になってしまうくらい楽しい縦走でした。

中央アルプス縦走路

目的地の檜尾避難小屋は、途中の濁沢大峯(にごりさわ、と読むらしい)を越えて、さらに檜尾岳に登った先にあります。つまり山を二つ登らないといけないわけで、ようするにアップダウンが激しくなることを意味しています。ある程度は覚悟していましたが、このアップダウンがなかなか!どことなく、この登ったり降りたりする雰囲気が昨年の大雪山を縦走したときと似ているような気がしていました。この写真は檜尾岳に着くか着かないかというときにうしろを振り返って撮った写真ですが、濁沢大峯がでんと構えており、なかなかのアップダウンだったことが見て分かりました。

濁沢大峯

この写真を撮った地点から15分くらい登ると、檜尾岳に到着。この時点でまだ12時20分くらいだったので、先に進むか縦走路を少し逸れたところにある避難小屋に行くか非常に悩みました。まだ早いとはいえ、檜尾避難小屋以外の避難小屋となると空木岳を越えたところにある空木平避難小屋くらいで、そこまではコースタイムで5時間40分。少しガスりはじめていたことと、空木岳の登りがキツイという噂も聞いていたので、この日は計画通り檜尾避難小屋に向かうことにしました。

小さく見えるのが檜尾避難小屋。

この写真の遠くにぽつんと見えているのが避難小屋です。いつの間にか周りがガスまみれで、とりあえずさっさと避難小屋に向かうことにしました。

12時35分くらいに着いた避難小屋には先客が1名いたのみでしたが、避難小屋周辺は平たい場所が多くあったので持って来ていたテントを張ることにしました。テントを張り終え、持って来ていた棒ラーメンを作って食べてもまだまだ時間が余る。避難小屋の周りは特にガスもなく、14時くらいが日差しのピークでテントの中はサウナ状態でした。それでも疲れていたので、日が翳った瞬間を狙って眠りにつき数時間昼寝しました。起きてからももちろん時間はまだまだあるので、持参していた小説「旅のラゴス」を読むことに。旅をしながら旅の小説を読むというのはなんともシュールな感じですが、これが面白くて結局夜まで読んで読み終わってしまいました。

夜もまた棒ラーメンを食べ、20時くらいに就寝・・・しようとしたのですが、前の日も結構寝ておりさらにこの日は昼寝までしてしまったのでなかなか寝付けない。さらにガスが発生しているわ昼との寒暖差が激しくてめちゃ寒いわ、さらに風が強くなってテントが揺れるわと、不安要素が多すぎて目がどんどん冴えてくる。この時期は親と過ごす時間が長かったからか、急に一人で3,000m近い山の上に一人でテント泊していると、非常に心細く、翌日の天気が荒天だったらどうしよう、とか、夜中雨が降ってテントが浸水したらどうしよう、などなど、考えなくてもよい悪いことばかり考えていました。

それでも一人で山に行くことをやめられない理由の一つは、心細く不安に押しつぶされそうなこんな夜を乗り越え、朝を無事に迎え先に進んでいくことが、自分をどれだけ強くするかを知っているからなのだと思います。昨年の北アルプス縦走大峯奥駈道をやったときなど、振り返ってみれば体力や天候は全く問題なく、成功するのに一番大切だったのは「不安な自分に打ち勝つこと」でした。

夜12時をまわったあたりで、いつの間にか眠りに落ちていた俺。翌朝見ることになる景色を、不安に押しつぶされそうだったこのときの俺は全く予想だにしていなかったのでした。

二日目に続く→

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