熊本放浪記: 熊本城の復旧を願って。

前回のブログの続き。スタバに9時間も滞在し(迷惑)、前日泊まった道の駅に戻りました。車の中で軽く飲みながら翌日の観光地を調べてみると、上色見熊野神社というパワースポットとして有名なところや阿蘇神社などが出てくるものの、いずれも道の駅からは遠い上に前日登った祖母山の方から近い。しまった!今回は行くことをやめにして、次回訪れた際に行ってみることにしました。

・・・今、阿蘇神社をなんの意図もなしに調べてみたところ、熊本城同様地震の被害にあっていたのですね・・・。しかも状況は写真を見る限りかなり深刻な模様。ブログ後半にも書きますが、文化的に非常に重要な意味を持つこういった建物が損壊しているのを見ると、本当に心が痛みます。阿蘇神社のホームページによると、7年間の計画で復旧作業に当たられるということ。心から応援したい。

今回の熊本訪問で行くことに決めたのは熊本城。県民の方には本当に申し訳ないのですが、熊本城が地震の被害を受けたことを調べるまで失念しておりました。角の石垣がかろうじて残っている様子の映像を、鳳来にクライミングに行った帰りの温泉で見たのをこのときに思い出しました。公式ウェブサイトで城主手形というものを知り、翌日熊本城を訪れた際に寄付を行おうと心の中で決めました。

※※※

翌11月19日。熊本城に9時前に着くように移動、道はわかりやすく9時少し前に到着しました。すぐに目に入ってきたのが石垣の崩れた熊本城の現在の姿。元の姿を知っているわけではありませんが、その痛々しさは見るに堪えない。

日本を日本たらしめているもの、ひいてはある国をその国たらしめているものとは、なんなのだろうか。今回の旅で何度か考えたことです。そして思ったのは、それは人と文化、ならびに歴史ではないか、ということ。もちろん他にもいろいろなファクターがあるとは思いますが、人・文化・歴史、というのが大きな割合を占めているように感じます。日本が日本であり続けるためには間違いなく文化の継承が必要で、この旅で何度も見た国の重要文化財や国宝に指定されている建物などは間違いなくその一端を担っていると思いました。そんな中、目の当たりにした熊本城の悲壮な姿。単純な「建物の損壊」だけでは言い表せない、心の痛みを感じます。これはおそらく、自分を日本人たらしめている部分、そんな部分が痛みを感じたのでは。


おそらくこれ以上崩れないようにするためのネット?を張る作業が行われていました。
この写真ではわかりづらいのですが、天守閣や櫓の瓦がはがれてしまっている部分が多いです。

前も書いたように、”ある場所に定住することの意味”は、まだ模索しています。ある場所に住めなくなれば、その場所に拘らずに新しい土地を求めればいい。壊れれば新しくすればいい。そんな極論に反発したくなる気持ちがありつつも、住む場所を転々としてきた自分としては反論しきれない微妙な部分もあります。ですが、目の当たりにした熊本城の姿からは、そんな簡単な結論では到底説明のつかないものを感じました。「絶対に修復・復旧しなければいけない」※2016/11/24追記※ 不落の名城と呼ばれた熊本城、現在の計画では2019年までに天守閣の復旧を目指しているそうですが、完全な復旧には10年、20年かかるということでした。徐々に復旧していく熊本城、完全に復旧するその日が今から楽しみです。

熊本城で現在入れるのは、加藤神社のみ。熊本城を横目に見ながら加藤神社まで行き、復興を願って参拝し御朱印を頂いてきました。下の熊本城天守閣の写真は加藤神社の脇から撮ったものです。

そして冒頭に書いた通り、城主手形を頂きました。これは熊本城の復元に対して一口一万円以上の寄付で頂けるもので、いろいろと特典があり表彰状も郵送されるようです。寄付の形としては、ふるさと納税と合わせておすすめだと思います。ちなみにふるさと納税で寄付すると、翌年の市民税が少し安くなるという特典?があります。熊本地震の際は、熊本に対して直接ふるさと納税が増えると市のスタッフの負担が増えるからと、市川市が代行していました。やるな~市川市!なんて思ったものです。城主手形は城彩苑という熊本城に隣接している施設で頂けますが、この城彩苑にはいろいろと見るところがあって結果的に熊本城と合わせて3時間以上滞在しました。


城彩苑全景。


ひごまるくん。何ともいえない可愛さが。

城彩苑の中にある湧々座という施設では、熊本と熊本城の歴史についていろいろと学べます。宮本武蔵が晩年を熊本で過ごしたと初めて知り、また、ここでも小泉八雲にばったり。さらにここの2階では日に何回か様々なテーマの短い映像を流しており、ちょうど居合わせたので見てみたところ「加藤清正という人物は実に戦略的に熊本城を建てたのだな」と、初めて来たにもかかわらず妙に詳しくなりました。

時系列的には前後しますが、湧々座1階で資料を見たあと(2階で映像を見る前)施設内で昼食を摂ることに。いろいろと見て回った結果、郷土料理?の「南関あげ」を甘い醤油で煮込み、鶏肉と玉ねぎを一緒に卵でとじた「南関あげ丼」(つまりあげ入り親子丼?)を頂きました。正直この丼ぶりはまあまあといったところでしたが、デザートに買った「白玉ワッフル(抹茶)」が激ウマい!!次に来るときも必ずまたワッフルを食べたいと思う。

熊本城を回っているとき、ふとジャパハリネットを思い出しました。高校を卒業して日本に一人で来て、アルバイトに没頭し、その頃毎日のように聴いていた曲を歌っていたのがジャパハリネットでした。「遥かなる日々」は今でも自分の応援歌です。

東の空が赤く明け始める頃 このスピードの中
>溢れ動き始めた 何かを探して

山の中で早朝に動き出して、途中で空が白み始めるといつも心の中で歌っています。昨年末再結成したのを思い出し、直近のライブを調べてみると近場でやっている!熊本城を出た後、チケットが残っていないか調べるべくローソンに寄ってみるも、予定されている近々のライブのチケットはすべて売り切れ。今後のライブに期待するしかありません。

そのあとは漫画喫茶へ。目的は漫画喫茶のwifiを使って、発売されたばかりのポケモン最新作をダウンロードすること!手を出してはいけないものに手を出した気がしつつ、ダウンロードが終わるのを気長に待つ。結局ダウンロードに3時間もかかり、とりあえず少しだけ始めてみる。


どっちの旅が優先なのやら。

いい時間になったので、この夜行く予定の道の駅へ。行く予定だった道の駅・通潤橋に行く途中、別の道の駅・佐俣の湯を通過。看板を見ると温泉付きではありませんか(名前的にそりゃそうだろ、という気も)!通潤橋ではなく佐俣の駅に戻ってくる方向に傾きました。なにはともあれ、とりあえずは道中通りかかる重要文化財・霊台橋へ向かうことに。橋の脇に車を停めて散策してみると、雰囲気の良いカフェが橋の下にありました。


橋の下にあった雰囲気の良いカフェ。


明治までに完成した石造単一アーチ橋としては、日本一の大きさを誇るという霊台橋。

散策後車に戻り先に進みましたが、この時点ですでに17時を過ぎており、通潤橋に着いた時点で真っ暗、しかも人がほとんどいない。地震の影響で今は休止中らしいですが、普段は豪快な放水が見られるようです。

通潤橋(つうじゅんきょう)
http://www.town.kumamoto-yamato.lg.jp/map/pub/Detail.aspx?c_id=56&id=395

結局、佐俣の湯に戻る事にしました。戻ってみると思ったよりもかなり広く、さらに人がすごくいてそっちにも驚きました。

露天風呂から見た夜空は星空。翌日に期待できました(裏切られましたが・・・)。ここでは付近の地図を入手、下調べや実際に現地に行った際に役立つことになります。地図に載っていた場所で特に目を引いたのは五家荘「平家の里」。今回の旅で訪れた日光にある湯西川温泉もまた平家の里で、以前名古屋に滞在中調べことを思い出しました。源平合戦、義経の方は平泉吉野の吉水神社で所縁の地を訪問しているものの、平家所縁の地は初かもしれません。

そんなことを思いながら、一杯飲んで就寝。翌日の国見岳登山編に続きます。

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