福島放浪記其の一: 松尾芭蕉の足跡を追いながら。

9/19、福島初日は雨のスタートとなりました。起きてすぐ事前にピックアップしておいた行きたいところのリストから実際に行くところと順番を決め、まずは前日行きそびれた刈田嶺神社へ。

そもそも、どういった経緯で蔵王山が現在のように蔵王山と呼ばれるに至ったのか、気になったので調べてみるとウィキペディアの蔵王権現の欄に詳しく書かれていました。鳥海山に登った際のブログに「山に名前が与えられることで個性が宿り人々の共通認識になるのではないか」と書きましたが、ウィキペディアには「修験者から庶民へと信者の主体が変化したことで、「蔵王山」という名称が(古くからの)刈田嶺や不忘山を凌駕して定着した」とあり、名称は時代の流れや人々の意識を色濃く反映するのだな、と感じました。この件に関してはいずれ突っ込んで考察してみたい。ウィキペディアにはさらに全国の主な蔵王権現として「石鎚山 – 山そのものが石鎚蔵王権現」と書かれており、石鎚山(愛媛県最高峰)登山がなおさら楽しみになりました。

道の駅から近くの刈田嶺神社にはすぐに到着。立派な鳥居をくぐり、本堂に参拝して御朱印も頂きました。

刈田嶺神社のあとは、時間は早いのですが温泉へ。この日は福島周辺を観光する予定でしたが、山形の松尾芭蕉記念館で見た奥の細道の行程に福島が含まれており、今回は偶然に頼るのではなく事前に福島の松尾芭蕉縁の地を調べていたのでした。蔵王町から南方向に調べていくと、縁の地としてまず気になったのが飯坂温泉。松尾芭蕉が立ち寄った温泉があるということで(宿泊地としてはあまり好印象を持っていなかったようですが!)、そこに行くことに。1時間強移動して目的の鯖湖湯に到着。ここは共同浴場で、有笠山にクライミングで行く際に利用させてもらう沢渡温泉を思い出しました。


趣のある木造の建屋。


飯坂温泉駅前には像も。またお逢いしましたね。

風呂から上がり着替えていると、観光客らしき方と地元の方らしき方の会話が聞こえてきました。曰く、飯坂温泉も原発の件があってから客足が遠のいたということで、例えば学生の合宿などが減ったという。ここにも震災の影響が・・・なんて思いながら、ふと以前友人と交わした会話を思い出しました。どういった経緯だったかは思い出せませんが、被災地の復興の話になり「ある土地に住めなくなったら、復興ではなく別の場所に移り住むという選択肢もあるのではないか」、 という問いかけがありました。俺自身転々と居住地を変えていたこともあり、その場で具体的に反論することができませんでしたが、かといって同意することも出来ませんでした。その会話をして以降、このトピックはちょくちょく思い出して自問自答していますが、まだ明確な答えが出ていません。今回の旅でも、「定住地を決めそこに根付くという意味とはなにか」と問い続けています。このトピックもまた、一度腰を据えて考察してみたい。

昼前から温泉でしっぽりしたあとは旧堀切邸という江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家を訪ね、次の目的地である医王寺へ。ここもまた、松尾芭蕉が訪れた場所のひとつで残された句はその背景を知るともの悲しい気持ちになります。

笈(おい)も太刀も五月に飾れ紙幟(おくのほそ道)

これは弁慶の笈と義経の太刀を指しており、この笈は今もこの寺に保管されているということです。義経といえば、平泉・毛越寺でも心を打たれた句を見ましたが、先日訪れた松尾芭蕉記念館で見たショートムービーでは奥の細道の紀行は源義経の足跡を辿るという目的もあった、と解説されており、残された多くの句を見ていると義経の生涯にも興味が湧いてきます。

さて、ここ医王寺には、松尾芭蕉が涙したという「佐藤兄弟」の逸話が残されています。案内板には;

「源義経が平家討伐に向かう時、当時この地を治めていた佐藤基治はその子継信・忠信の二人を遣わしました。兄弟は義経の忠実な家来としてめざましい活躍をしたが、兄継信は屋島の合戦で義経を矢から守る盾となり、弟忠信は義経一行が京都で追手に遇い苦戦に陥った時、義経を名乗って敵を引きつけ主君を逃がし自分は身代りとなった(要約)」

とあり、無事に奥州に下った義経一行は、医王寺に参籠して二人の追悼の法要を営んだそうです。さらに上の写真にある飯坂駅前の石碑には;

「(兄弟の)死を悲しむ母を慰めるため二人の嫁が夫の甲冑を身につけて凱旋のままを粧った話に(松尾芭蕉が)涙を流した(要約)」

と書かれておりました。この句の背景にこんな壮絶な話があることを知ると、ますます奥の細道や義経の生涯を知ってみたくなります。


医王寺・本堂。


本堂脇にあった句碑。句の背景を知ると胸が締め付けられます。


本堂から奥にある薬師堂に向かう途中にある佐藤兄弟を両脇に佇む義経公。しばし眺めていました。


この日頂いた2つ目の御朱印。なぜか用意されていた別紙に日付だけ書き込む形式。

佐藤兄弟に想いを馳せた後は近くにある「中野不動尊」を訪れました。この日の中で見た目のインパクトが一番凄かったのはここ!中野不動尊に関して詳しくは公式サイトに書かれておりますが、まずその赤さと立地場所に驚かされます。

なんと鮮やかな赤!そしてすぐ脇には滝。が、ここの最大の特色はこういったことではなく、三ヶ月不動明王が祀られている奥の院に至る「洞窟」です。上の写真のお堂の一階部分が洞窟への入り口になっており、目の前に行くとこんな様子。

おどろおどろしさが全開で伝わってきます。そして中に入ると、閉所恐怖症の人は奥まで辿り着けないのではないかというような細さと暗さ。一応写真も撮ってみましたが・・・

異世界に通じていそうです。奥に奥に進むと、どうやって進んだのか別のお堂から出てくることになりました。


ここから出てきました。

実に不思議な体験をさせて頂きました。本堂にも参拝したあと、社務所にてこの日3つ目の御朱印を頂き撤収。社務所の鎖樋が実に風雅だったので写真を一枚。奥に見えているのは上の写真の滝です。

中野不動尊訪問後、この日最後に訪れるのは「浄楽園」という日本庭園。福島に来て行くところが温泉、社寺、日本庭園。いったい俺は何歳なんだろうか、と自問自答したくなります。日本庭園といえば、高野山や毛越寺を思い出します。あいにくの天気ではありましたが、しとしとと降る雨の中歩く雅な日本庭園は思いのほか良かったです。


庭園に咲き乱れていた秋の七草のひとつ・萩。秋の訪れですね。


休み処、鯉や鴨に餌をあげたり休憩したりできます。


しだれ桜、春にまた戻ってきたくなります。


途中にあるお茶屋さんで頂いた抹茶。昔から抹茶ものには目がありません。

歩きながらふと、自分の旅の中で「静」の部分は社寺や日本庭園巡り、「動」の部分は登山なのではないか、なんて思いました。緩急つけながらの旅はいまのところ順調です。お茶屋さんにいた方から色々な情報を頂き、特に「この地はもともとは田んぼや畑だった」という話に驚きました。なんでも、この場所の地主さんが、金閣寺の庭園管理なども行う庭師の弟さんと共に10年以上かけて完成させたとのこと。何もない状態からここまで整備された庭園を作り上げた人たちの想いはどれほどのものだったのだろう。

日本庭園を堪能したあと、今はそこから移動してエクセルシオールにてブログを書いています(福島にはスタバが少ない?)。天気が良くなるようには全く思えない空模様ですが、明日は予報では曇りになっている安達太良山に向かいたいと思います。うまくいけば、向こう数日間で安達太良山・吾妻山・磐梯山に登りたい。会津若松観光も今から楽しみです。

6件のコメント

  1. ピンバック: THE HAIKU GIRL | Yusaku Days

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください