5年連続となる富士登山、今年は初挑戦となる『富士山駅からの富士登山チャレンジ』を職場のアルバイトの子ら2人と共に敢行しました。
計画としては8月5日(日)の朝一のバスに乗り新宿から富士山駅まで移動し、そこから歩き始めてこの日のうちに吉田ルートの7合目~8合目の間にある『東洋館』まで辿り着き宿泊。翌早朝行動開始し、御来光を眺めて下山。計画を大雑把に書くとこんな内容となりますが、特に初日はコースタイムで9時間という長丁場。はたしてほぼ登山初挑戦の2人は完遂できたのだろうか?まずはチームのメンバーを紹介したい。
チーム紹介
それでは早速、2日間にわたる珍道中を振り返っていきたいと思います。
前夜祭、登山前日:8月4日(土)
登山前日。勤務日だったIと一緒に職場を出たのが20時15分くらい、駅でAと合流し俺の家に向かいます。最寄の駅に着いたら、この日は駅近くの河原で全国的に見ても規模の大きい花火大会が終了した直後で、想定を遥かに超える人混み。
人混みを掻き分けなんとか近くのスーパーに辿り着き、夕食と翌日の行動食や水分を買い込む。22時くらいには家に辿り着き、早く寝ればよいのに始まったのは
翌朝は4時起床なのに(無駄に)1時まで起きていました。下世話な話が9割以上を占めていたように思います。男が3人集まるとこんなもんです。寝たほうがよいのかこのまま起きていたほうがよいのか、という検討不要の案件を話しながら眠りに落ちました。
旅の始まり、登山初日:8月5日(日)
富士山駅へ 標高:820m
1時に寝て、起きたのは4時。起きられるか心配でしかありませんでしたが、なんとか全員起床。支度を済ませて、4時半前には家を出ました。旅の始まりです。まずは腹ごしらえにとコンビニでおにぎりを買おうとするものの、どのコンビニに寄ってもおにぎりが全くない。どのコンビニもその日のおにぎりの搬入前のようで、かろうじて数種類のおにぎりが残っていた駅前のコンビニで朝食を購入。後にも先にもこんなに必死におにぎりを探すのはこのとき限りのような気がする。
5時過ぎの電車に乗り、新宿へ。予定通りです。新宿駅に着いたらバスタ新宿へ移動し、6時5分のバスで富士山駅へ。バスの中では爆睡し、予定通り8時前に富士山駅に到着しました。
富士山駅~富士浅間神社 標高:870m
バスを降りたら靴紐を結んだり日焼け止めを塗ったりと準備を整え、早速出発。大きな鳥居のある一直線の大通りをまずは『富士浅間神社』へと向かいます。
ひたすらまっすぐ歩き続け、途中で左に逸れて浅間神社へ。『吉田口登山道』の道標がありました。
富士山駅から歩くこと約30分、ようやく0合目、登山口に到着しました。ここが今回の登山の起点、まだまだ先は長いです。時刻は8時30分。
富士浅間神社~馬返し 標高:1,440m
浅間神社からは車道と遊歩道が選べるので、遊歩道でまずは『馬返し』というポイントへ。そこから先は馬が進めなくなることから馬返しという名前が付いた、とか、そんな話だったと記憶しています。馬返しまではバスで行けるものの、0合目から山頂まで歩き通すことが今回の目的なので、もちろん歩きます。『平坦な道は飛ばして歩く』という自分の中のセオリーを今回も適用し、登山ほぼ初挑戦の2人を連れてガンガン進んでいきました。
この日も例の如く暑く、想定以上に体力を奪われました。無駄話が相当多かったことも影響していたのかもしれない。ひたすら森の中を歩き続けること2時間、ようやく馬返しに到着です。
馬返しに到着したとはいえ、ここはまだ1合目ですらありません。この時点で歩いた距離9.8km、富士山駅からの標高差は600m強。今回の登山はなかなかの手強さです。時刻は10時30分。
馬返し~6合目 標高:2,390m
馬返しで少し休憩したら、すぐに出発です。再び鳥居が現れ、鳥居の先には『禊所』なんて場所もありました。なんでもここから先は聖域で、昔はここでお祓いをしてから登っていたのだとか。
馬返しまでは平坦な道がひたすら続きましたが、ここから急に登山道らしい道になり、どんどん高度を上げていきます。
ひたすら上の写真のような登山道を登って行き、1合目、2合目、3合目・・・と、順調に進んでいきます。5合目と書いてある場所が何度も現れるというフェイントを食らったり、何度か車道を横切ったりしつつさらに上へ上へと進みます。
ここまでの道はどちらからというと降りてくる人のほうが多く、馬返しから5合目までの往復というプランなんだろうか。すれ違う登山者が多いと挨拶を交わす回数も増え、単独行だとそのまま先を進むだけになりますが、今回は連れがおりその連れ(A)がすれ違いざまに「今すれ違った人、声は可愛い」とか言い出す。
と、Iと俺でどやしつけました。そんなアホな会話をしている間にいつの間にか真の5合目である『佐藤小屋』に到着。まだ木は多いですが既にすごい展望でした。
遠くに見える街のどこかからか歩いてきたと思うと、既に物凄い歩いたのだなと驚愕。それでもまだここは2,230m地点。先はまだまだ長いです。
5合目から少し進むと、もうそこは6合目。登山口としてメジャーなスバルライン5合目から来た登山客らと合流するこの場所は唐突に物凄い喧騒で、まるで上高地や室堂のようです。我々は0合目の登山口から登ってきましたが、殆どの人の登山開始場所はここ、6合目。それにしても6合目は5合目以上に素晴らしい展望!!ちょうどよいタイミングだったので、大休憩をとることにしました。
富士急はどの辺に見えているのだろうか、というようなことを話したりしながらしばし休憩。時刻は13時20分、コースタイムに対して1時間半も短縮しています。
6合目~7合目(東洋館) 標高:2,936m
10~15分程度休憩したら、早速出発です。人が殆どおらず、いるとしても降りてくる人ばかりの道をひたすら歩いていたところから急に人混みの中を歩くことになりました。アングロサクソンやアジア系の外国人など、日本人以外にかなり多くの外国人も見かけました。
6合目の出だしは弱傾斜の砂利道をひたすら登る道で、6合目までの道と全く様子が異なり既に14km以上歩いている脚には結構堪えました。それでも、登れば登るほど良くなる景色に癒されながらどんどん登っていきます。
砂利道が結構キツかったのでスローペースで登っていたつもりが、まわりも同じくキツいと感じていたのか結構追い抜いていきました。この『追い抜き』は結局翌朝の山頂への行程までずっと続き、『ゴボウ抜きが好きな男(?)』と呼ばれることになるのは完全に余談です。
ひたすら砂利みたいな道を進み続けると、7合目と呼ばれる場所に辿り着きます。宿があるのは7合目なので、ようやく辿り着いた!・・・と、喜ぶのはまだ早い。7合目には宿が8合目に向けて7軒営業しており、宿泊予定の『東洋館』は一番上の7軒目。コースタイムではまだ30分以上あります。
7合目以降は砂利道から傾斜が急なプチ岩稜地帯(?)に変化します。こういう岩場は得意中の得意で、スピードが出せます。こんな登り方をスクランブリングというのだろうか?なんてことを思いながら、ゴツゴツした岩のうえを3人で駆け上がっていきました。登山靴のソールのグリップ力が遺憾なく発揮されるのはこういうところです。ストックを使っている人が意外と多いのですが、重心を移動させながら足だけで登った方が登りやすいように思います。
このプチ岩稜帯は幅が広いので追い抜きやすく、かなりスピードを出して登っていきましたがさすがに3,000m近い場所なのですぐに息が上がります。外国人の団体さんも多く来ており、道幅が狭くなったところでゼェゼェ言いながら道幅が広くなるまでのろのろとついていったところ、目の前のアジア人女性に『Are you ok?』とか言われる始末。駆け上がっていたらいつの間にか東洋館まであと少しのポイントに到着していました。振り返ると、他の宿や歩いてきた登山道が遥か下に見えていました。
そのまま登山道を駆け上がり、東洋館に到着したのは14:55でした。スタート時刻は予定通りだったので計画では17時に着くはずであったところを2時間も早く到着。要所要所で結構飛ばしたのにもかかわらず、2人ともよくついてきてくれました!!お疲れ様です。
東洋館にて 標高:2,936m
チェックインを済ませて荷解きをし、夕食まで時間があるのでまずは初日頑張った自分に『癒しの水』のご褒美を与える。枝豆と柿ピーも購入し、大富豪で遊びながらワイワイと過ごしました。
大富豪を何ゲームかやったあと、トイレに立ったAが戻ってきたと思ったら顔が青白い。事件発生です。ここにきて、Aが高山病のような症状を発症したのです。本人曰く;
- 視界が青くなった
- 音が聞こえなくなった
- 頭が重い
- 吐き気がする
というようなことを言っており、とにかく顔色が絶望的に悪い。トイレに立つ前まではむしろ調子が良さそうだったのに、かなり驚きました。とりあえず横になっていることを勧め、様子を見てみることにしました。
基本的に単独行ばかりの自分の場合、何が起きても(下山という選択肢も含め)自己解決でなんとかする自信はありますが、グループ登山でトラブルが発生した際の解決能力は低いと痛感。メンバーが高山病を発症する可能性を事前に考慮し勉強しておくなど、対策を講じておく必要性を感じました。
夕食時間になってもまだ回復せず、そのまま横になり続けるA。夕食後に様子を見に行っても少し回復したのみで、とても山を登れるような状態ではありませんでした。計画の大幅な変更も含め考慮し始めたところ、大部屋の隣にいた男性が「高山病ですか?」と声をかけてくれました。曰く「高山病の場合、横になっていると内臓を圧迫するのであまりよくない。壁を背にもたれかかり、その状態で水を少しずつ摂取していくとよい。可能であればその状態で寝られれば尚よい。」ということで、早速アドバイスどおりにしてみることにしました。余談ですがこの男性、どうやらまだ幼い息子(?)と登山に来ており、どうやらお母さんは来ていないようなので息子がぐずりまくっていてこれはこれで大変そうでした。
アドバイスが功を奏したのか、はたまた本人の体力が持ち直したのか、いずれにせよ少ししたら結果的に元の状態に近いところまで回復。一時は登頂を危ぶまれていたので、ホッと胸をなでおろしました。原因は身体の水分をどちらかというと奪う飲み物を飲んだからだったのだろうか。
東洋館にいる間も相変わらずの快晴で、さすが全日本晴れ男代表を連れてきているだけありました。
小屋の人曰く、東洋館から御来光狙いで出発する場合23時~1時の間に出発する人が多いのだとか。コースタイムが3時間強なのでこのメンバーなら1時半に出ても御来光に間に合うだろうと踏んでいたものの、念のため30分前倒しして1時の出発を目指して0時半に起きることにしました。18時に寝れば6時間半くらいは計算上寝られることになります。
夕食を食べていないAには翌日の行動に影響が出ないよう本来は翌朝の朝食として手渡されていた弁当を夜のうちに食べてもらい、時刻が18時あたりをまわったところで全員就寝。前夜(無駄に)3時間くらいしか寝ていなかったこともありすぐに寝付くことができました
21時半くらいにトイレに行くために起きて外に出たところ、星空と夜景がすごい!大部屋に戻り2人を起こし、外に出るよう促して夜景鑑賞会を開始しました。そんな中、Aが「20時半くらいにトイレに起きたとき、街のほうで花火が上がっていましたよ。」とか言い始める。
と2人でどやしつけたりなど、ワイワイ楽しみました。22時に再び眠りに付こうとしたところ、左右からイビキの合唱団が演奏を始める。小屋泊は昨年の富士山以来1年振りなのでイビキの存在を忘れていました。屋久島のときのようにイビキがうるさいのでテント泊に切り替え、なんてことができるわけもなく、ただただ黙ってくれるのを祈りながら自分が寝付くのを待ちました。
最後に記憶にあるのは22時半前後に時計を見たところで、次に意識が戻ったのは目覚ましに起こされた0時半。いつの間にかかなり深い眠りに落ちていたようです。
初日の核心は暑さ!小屋のある7合目のエリアに達するまでは気温が高すぎて普段以上に体力の消耗が激しく、水の摂取量も多かったです。過去一番暑さにやられたのは栂海新道を日本海に向かっていた際で、次に大阪の葛城山を思い出します。あとは暑すぎて登山自体を断念した屋久島のモッチョム岳もありました。
0時半に目が覚めたところで、2日目に入ります。
続く→
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